怖いな

こわいなこわいなー

そういう時はついふざけちゃう、稲川淳二で。

 

なんか老眼の進みがひどいとか右目が急に悪くなったしとか、なんか乱視もひどくなった?とメガネとか作り直そうと思って、でも病気とかあると困るなと検査したら黄斑上膜という病気になってた。

 

目の奥の…めんどくさいな説明が…視力が低下したり歪みが出ちゃう病気。手術しか治療法がない。近視がひどくて視界の歪みにも気づかなかったけどしっかり歪んでました。ずーっと老眼が酷いとラインやネットを見るのが億劫になっていたけど老眼以外にも原因があったんだな。

加齢が原因らしいので同年代の人は気をつけて。

 

ともかく運転も怖いしガチャ目の状態で歩いてるので疲れる。耳も聞こえない気になってくる。これは多分見る事に集中してるからだと思う。

 

コンタクトレンズを作り直しするのでメガネ屋さんへ。

途中で検査する人変わられて不安になった。その人ではうまく判断できなかったみたい。コンタクトで0.1しか出てないって言われたのはなかなかショックが大きかった。交代した人がやたら優しいので心が弱くなった。笑

 

交代した人はかなり慣れた人だったけどどれだけ矯正しても0.6以上出ませんと言われた。両眼で0.8に調整した。やっぱガチャ目だけど仕方ない。前よりマシ。利き目を頑張って変えるしかない。

 

目が見えないって真っ暗じゃないよね。今まで見えていたんだもの。光はある。

 

写真を撮っていても画角もピントもぼんやりした中で撮ってる。ピントはカメラ任せ。ピンぼけ写真が好きなんて言ってたから自分がピンぼけになってしまったな。

 

元々みんな似たものを見ているという信頼でつながっているのに何かそことのつながりが弱くなってしまうような気がした。

 

見てるもの、見る事、について。

また考える機会ができた。見るってなんだろ。

 

免許更新できるといいな。

f:id:mamezanko:20220309224433j:image

 

 

2月の終わりに。

おとなになってからいう友人と知人の境目は難しい。どっちの距離がどうってわけじゃない。ただ、会う頻度とか知り合ってからの時間とか、なんかそんな差だろう。

少しの間だけしていた習い事で知り合った人が亡くなった。正確には亡くなっていた、1ヶ月前に。

がんだと話してくれたのは随分前だ。私なら話してもすごく心配したりショックを受けたりしないだろうって。確かに。

まあそうだけど。

だからってそんなになんともないわけじゃないよ、ばくさん。

 

そろそろそんなに差は無くなってくるかもしれないけど、一般的に言う「寿命」という考え方からは随分早くにいなくなってしまう人たちに近い年の人たちより多く出会ってきたんじゃないかと思う。

だからこのまま全員見送って私は最後にひとりで死ぬのかなあなんて思ったりもしてた。だからこんなに図太いのかなと。

でもそういうのはもう嫌だな。この苛立ちはそういう気持ちだと思う。ひとりで死ぬのが嫌なのではなくて、そんな変な役割とか死生観とか。

 

上手い例えでは全くないんだけど浮かんじゃったから書くけど、ビンゴのカードみたいに穴を開けていくみたいだ。全部あいても何ももらえない。

 

うん。喩えがひどい。なんの広がりもない。

いつも全然うまく処理できない。何回お別れしてもぼーっとしてしまう。ただ力なく見送るだけだ。

 

油断してた。「信じられないくらい元気なんですよー」と言って別れたのが10月。「久しぶりに大笑いしました」と後でメッセージをくれた。

悲観的で心配している方が無事だった。色んなことはそう。

だのに安心しちゃってた。

 

 

浅草生まれ浅草育ちの下町嫌い祭り嫌い。屈折した下町っ子。そういうところちょっとわかる気がしていた。

ダイビングたくさんして、お酒たくさん飲んで。超マイペースで嫌ならスッといつの間に帰っちゃって。酔っ払うとすぐキスして。なかなかきれいなキスの仕方だったな。(私はされなかったけど!)

 

最後頑張ったのかな。

おつかれさまでした。

 

f:id:mamezanko:20220301000240j:image

 

 

卒業するのかな

勘違いしてたけど、病院は次回で薬を出してもらうのが最後になるらしい。医者が言ってた。

 

減るたび大きい波が来るので今回はどんな波が来るのか怖いけど、薬をやめたいと思ったのは自分なんだから頑張らなくちゃ。

 

次もきっと慣れる! ٩( 'ω' )و

帰って猫にベタベタしよっと。

待つ時間

いるところややる事があれば待つのはあまり苦にならない方だ。

お買い物したり散歩したり本を読んだり編み物をしたり。カフェがたくさんあるような世の中になってからは余計かな。

前夫との生活は一言「待つ」生活だったと思う。そんなことなかったのかな、でも心にはそれが強く残っている。待ち続けた20年。気持ちの面でも。待っていたからって叶わなかったこともたくさんあった。

だからか待ち合わせ場所で相手を見つけた時、先に相手が来ているとちょっと申し訳ない気持ちになるけど、ぱあっと気持ちが明るくなる。それは待ってる時来てもだけど。

見つけた時の安心感。

 

待ってる人が来る、待っててくれる人がいる、それはとても幸せなこと。

f:id:mamezanko:20220218025036j:image

梅が咲いてた。

 

わたしのおうち

私が一番欲しいもの。それは「家」だったのだと思う。最近分かった。でも家ってなんだろう、ってとこだけど。

 

帰る所、行ってきますするところ、いただきます、ごちそうさま、おはよう、おやすみを言うところ。基本の場所。安心する場所。

 

家がわからないから家を求めても迷走する。

「自分が自分の家になればいいじゃないか」なんて言うのもいいけれど、なんだかそういうところへたどり着くのは別バージョンでもいいんじゃないかと思う。2バージョンあったらいいよね。せっかく自分以外の人がいるんだし。

自分以外の人間と関わった時、その間に生まれる何か。不思議とか感謝とか。ここにいていいんだという安心感とか。屋根や壁がなくても。

一人の人でも仲間でも。

 

結婚して、夫と家が作りたかった。夢は人一倍大きかったのではないかと思う。お互いの家になりたかった。しかしうまくいかなかった。なんでかなーと思う。

何かを育てることができなかったのだ、多分。それは一緒に育てなきゃならないものだったと思う。そんなに難しい話じゃなかったんだと思うんだけど、それが相性というものだったのかもしれない。夫が好きだったから20年頑張った。原因があったから離婚したんだけれど、どちらかが悪かったから離婚した、のでは多分ないんだな。「良い・悪い」という言葉ではないのだ。でもどの言葉なのかはまだわからない。でも家は出来なかった。実の家に20年いて、次の家も20年いた。家が2個。でも家と思えなかった。

今月で離婚して1年が経つ。

 

だいぶ理想も語ったかもしれないけれど、わたしのおうちは私の中にある。本当はね。私の私が住むところ。

その私が私に帰っている間、いても安全なところ。それが「家」かもしれない。

f:id:mamezanko:20220207230314j:image

 

 

魂が飛び出す

双極性障害の薬を減らして最初の量の3分の1になった。無理がなければ5週ごとに減らす。順調にいけば2ヶ月半くらいで何十年かぶりに薬を飲まない日が来る。5月の誕生日は薬なしで迎えられるのかな。

前にも書いたけど減薬の影響は続いている。いや。実はもう影響じゃなくて本来の自分になってるだけなのかもしれない。

最近は夢をみているっぽい。しかし大概猫に起こされたりと自然な目覚めではないので内容は覚えていない。

 

困っていることといえば、魂が身体から飛び出しそうな感じになってギュッとなることだ。これは調子悪い。

躁な感じとウツな感じが混ざって爆発的なエネルギーが体の中に生まれる感じ。それが体から飛び出しそうになる。友達に言ったら「出しちゃえばいいじゃない」と言ってたけど出したら多分死んじゃうと思う。自分を開放みたいな意味で捉えたのかもしれないな。そうじゃない。

そうじゃなくて飛びたくなっちゃうのだ。何かの淵に立って。でも生きて開放されなきゃダメなのもわかっている。そうしたいともおもっている。

だから多分飛ばない。その辺りは長いからコントロールできると思う。

まだ生きていたい理由もある。色々なことが解決もしてきている。後の寿命でどれくらい解決するのか知りたい。そう考えると、好奇心って生きていく上でとても大切だな。私は昔から好奇心の塊みたいなところがあったからそれに助けられてるのかもしれない。あとは人より少し冷静に物事を見られること。

 

希死念慮の話を口にすると、きっとみんなとてもびっくりしてしまう。私だって友達が口にしたらドキッとする。その人の死生観もわからないし、どういう精神状態で言ってるのかわからない。

私が死んでしまったらトラウマ級に心配させて、全力で関わってくれた友達を裏切ることになる。色々な人の愛情に応えるために生きていたいと思う。だから自分のために生きるより、誰かのために生きる方が自分の命を支える力は強いかもしれない。対象が在る世界にいないと生きていくことはできないと思う。自分を認識することもできない。それは自分軸じゃないとか言われそうだけど。それとはなんか違う。

自分を不自然に変えるのではなく、自分のままならいいんじゃないかな。それだけ大事な人たちが自分の人生にいるっていいことじゃないかな。

 

それに生きていないと感じられない。きっとオバケになったら感じない。知らなかった喜びや楽しいこと。

だから魂が飛び出しそうな躁とウツの合体した強いエネルギーに晒されても大丈夫だと思う。苦しいけれど元々苦しかったような気がするし。

そしてずっと今と同じってことはない。

 

 

それにしても躁と鬱が合体したらどうなるのかな。今は強いエネルギーな気がするけど、案外スンと静かになっちゃったりして。

f:id:mamezanko:20220205143035j:image

 

オープンマインドはいいこと?

あまり隠すこともないと思っているし、開けっぴろげな方だと思う。そしてそれがいいと思っているからやってきた。あれこれ考えているとそちらに気を取られていい自分をキープする方に気持ちを注げない。

 

ほんとかな。ほんとにオープンマインドはいいことかな。

突然やってくる「ほんとかなタイム」。

 

繊細な人を傷つけていないかな。オープンにできない人を。ジャイアニズムジャイアンの悲哀。

 

そして私は本当にオープンなのか。オープンにしてるという顔をして見せられるところしか見せてないのではないかな。見せかけのオープンマインド。自分でもわからないレベルの。

そんなに複雑な人間じゃないかもしれないけど。(^_^;)

 

昔、素直とバカ素直は違うんだよと言われたことがある。時々こういうパンチをくらう。バカ素直な私がその人に何かしら不快な思いをさせたのかもしれない。

 

バカオープンマインドなのか…バカ素直の「バカ」エネルギーは反発が来る時は同じ熱量のパンチをくらう。

 

おっと。へこんできた。

オープンマインドも自分のセッティングというか良い前提、良いベースがあると良いものになるかもしれない。

私のオープンマインドも一度点検するといいのかも。

 

ブログしばらく更新しないでいきなりドカドカ出すのやめたい。コンスタントにできる人になりたい。

 

宇宙にぶっ飛ばせることは元々素養があることしかできないのだな。(「話し下手」参照のこと)