どんなわたしでも、どんなあなたでもいい。
こころのさらに奥にある生まれた瞬間から持ってるもの、そのままでいたらいいと思う。
それが世界の均衡を保つネットのように働く。わたし達はパーツだと思う。
この頃そういう世界に住んでいる。
だからもっとこれができるようにならなきゃとかそんなことはきっと関係ない。
ただし、その生まれた瞬間からすでに持っていたものでなければ。
素晴らしいパーツとして機能したい。
そう思うこの頃。
どんなわたしでも、どんなあなたでもいい。
こころのさらに奥にある生まれた瞬間から持ってるもの、そのままでいたらいいと思う。
それが世界の均衡を保つネットのように働く。わたし達はパーツだと思う。
この頃そういう世界に住んでいる。
だからもっとこれができるようにならなきゃとかそんなことはきっと関係ない。
ただし、その生まれた瞬間からすでに持っていたものでなければ。
素晴らしいパーツとして機能したい。
そう思うこの頃。
ともかく与えちゃったもん勝ちだし愛しちゃったもん勝ちなのだ。
負けるが勝ち、負けたら勝ち。
それが一番気分がいいやり方だった。
感謝しちゃったもん勝ち
素直になっちゃったもん勝ち
ゆるしちゃったもん勝ち
楽しんじゃったもん勝ち。
…何に勝ったのかな。
自分かな。(ありきたりだ!)
自分との勝負には先手必勝なのだ。
勝ち負けという言葉で引っかかるなら
「楽になる」が近い言葉かもしれない。
「降参する」ていうのもよく聞く言葉だ。
こどもの頃、「友達になろうよ」って言ってくれた子は今でも凄かったなあと尊敬している。その子は勝ち負けで言えばもうチャンピオンだ。ともだち部門殿堂入り。
大縄跳びには自分から入らなきゃ遊べない。
トランポリンも最初は自分で飛ばなきゃだし。
刑事ドラマの取り調べでも「早く吐いて楽になっちまいな。」って言う。そんなところにも真理があったのだな。どこにでもヒントはある。
なんで早く楽にならなかったんだろう。修行してたんかな。
箱があったらソッコー入らずにいられない猫もそんな感じかもね。
伝わるように書くのは難しいけど、でも大縄に飛び込むのはわたしだけのためじゃない、そう思う。そう思うから飛び込める。
心の勉強をして、お薬をやめて、そのほかにも自分の頭の中が大改変するような1年だった。
信仰のようなことや荒唐無稽かもしれない考えが頭を占める。
しかしそういうこともそろそろお外に出す時期が来たような気がする。
多分変なんだろうな。
でもそんなの子供の頃からだったし。
必死にそう言われないようにやってきても全然無駄なことの連続だったし。
そしてそんな変かそうじゃないかなんていう物差しはユーレイ物差しだ。一般常識くらいのユーレイだ。
というわけで開き直ってやってこうと思う。
日本語もきっとやばくなる。
やばいとか書いてる時点でやばいもの。
と、宣言のようなことをしてみた。
一生懸命息をしてることがある。
あー、ちゃんと息しなくちゃ、と思う。
吸えてない、吐けてない、でもそうやってする息は吸い込み過ぎたり吐き過ぎたりして頭がくらくらする。
もう、息もまともにできんのか。
と。
そんな時は胸やあばらの辺りがギシギシする。
生きてることとリズムが合わない。
地球の自転と気が合わない気すらしてくる。
どこからやり直せばいいんだよ。
どの呼吸まで遡ればいいんだろう。
ズレた私のままを猫のしっぽがパタパタ触れる。
どんなにいびつな呼吸の私でも世界は私を放り出さない。
52歳になった。
なんでか胸がザワザワして不安に数日を過ごしていた。理由はよくわからない。
洗濯機は壊れるし、足はぶつけて変色するし。💧
そして今日は大荒れの天気だった。
と。
なぜか下書きが消えるという…結構書いてたのに。
誕生日は、自分の宝物を振り返る日。
52年生きてきて、どんな宝物を手にしているのか。
そしてそれに対して感謝する日だったりする。
こう見えて頼り下手。頼み下手。
どう見えてるかはわからないけれど。多分なんなくやってそうに見えてないような気がしている。
困っても口に出せない。
そしてどんどん困っていく。
家族や近しい人、できたら頼りにしたい人ほど頼むことができない。
自覚はあるので結婚している時は夫に頼んだり頼ったりしてみていた。
できることもできないこともあったとは思うけど、多分心底ここで頼りにしたい!ということほどうまくいかず、どんどん口に出さなくなっていったと思う。きっとまたダメなんだろうなって。
ずっと叶わないことを頼むほどタフじゃなかった。
そして結婚生活全体が一番叶えたいことが叶わなかったし。それはどちらが悪かったというのではなくて多分なにかを知らなかったのだ。方法が分からなかったのだ。わかったらトライくらいはできただろう。
そもそもあまり親にも頼み事をしたこともない。
自営業で忙しかったし家族の状態はあんなだし私は頼まなくてもなんとかなってきた。
…いや…あまりなんとかならなくて騒ぎになったこともあったな。笑
ともかく。
このままでは将来的に歳をとって誰にも頼り方が分からずひっそり死にかねない。
死ぬのはいいんだ。
ただ誰かが始末をしなくちゃならない。
頼み下手なのとうまくいかなかった時のエネルギーが消耗する感じにへっちゃらになるのがいいのかな。
いろんなことは立体的にできている、と思う派としては…これはまた改めて書いた方がいい気もする。
私が頼りにすることで循環することや色々な人が成長したかもしれない。
私が迷惑をかけまいとしたことでどこか迷惑がかかったかもしれない。
いや。迷惑かけちゃダメという考えもあまり好きじゃないから、ほどほどに良い迷惑をかけていきたい。それがつながり、良いバランスのつながり。
私が助けを求めて手を伸ばさないことで世界のバランスはよくなくなる。
そしたら断られることも拒絶されることもネガティブな出来事ではなくなる。
自分がバランスがの取れた世界のひとつとして良いピースになるには必要なことかもしれないし、すごく大きなところから見ればそれはネガティブとかポジティブとか名前のつけられる経験ではないんじゃないかな。
と、なんとなく何言ってるんだろうという終わり方になってしまった。
でも大概のことはすごーく大きなところから見ればそういうことになっちゃったりする。
10年通った精神科。
昨日が最後でした。
今の病院が10年で病歴自体は20年くらい。
大量の薬を減らすの大変だったんだよー、と先生が言った。鬼のように減らして体もキツかった。訴えも聞いてもらえずだったのだけど、とぼけていたところもあるんだろうな。気を遣って大変だったと。
知らないこといっぱいある。
やっぱりいつもとは違うテンションの先生。ちょっと穏やかな気がした。談笑、と言う言葉がぴったりだった。お礼を言って、先生に会えなくなるの寂しいと伝えた。実際心細い。
そしたら○○さん(私)の心の中に僕がいるってことがわかったので嬉しいです、と言ってくれた。
もー、先生!
受付のお姉さんたちにも挨拶。おひとりは臨床心理士さんで検査もしてもらった。
処方箋薬局の人たちはちょっと前に全員変わっちゃったのでみんな知らない人だから特に話はしなかった。
こうしてたくさんの人に見守られている。
先生が出す卒業テスト(再発させない心得)にもかなり高得点を出せたし私は本当にいい患者だ。
真面目だし、お薬もちゃんと飲んだ。
そして美味しい夜ご飯を食べた。
本当に嬉しい。もしかして何も変わらないかもしれないけど。
変わりたいのかな。変わりたいと言うか足していたものをやめたかったのだと思う。
昨日の晩から薬をやめた。
これからどうなるか。
たまたまかもしれないけど、横隔膜の辺りが硬い。緊張してるのかな。徐々に慣れていこう。
すでに生活は全然ダメだけれど、いろんな人が世の中にいていい。ごはんちゃんと作れなくても片付けが苦手でも。
みんながごはん得意なら料理本の売り上げは激減するし、片付けが得意な人ばかりなら物も売れなさそうだし片付けが得意な人が活躍出来なくなる。なんて世の中に貢献している私!
デコとボコで完璧なので必要なピースなんだな。きっと。
と言い聞かせながら死ぬまで日々を自分なりに送っていけばいいのだと思う。
ひたすらペダルを漕ぐ楽しい自転車操業。
ここでありがとうと書きたいけれど、なんだか終わって安心、て話でもないのでありがとうという気持ちを持ちながらお世話になった人たちの顔を忘れたくないなと思ったのでした。