わたしの重力

何かを掴んでいると自分が苦しい。

掴む=こだわるとか執着してるとかそんなことかな。

 

それをうまく書けるかなとずっと思っていた。

まるで首がしめられてるみたい。

とても大切で大好きなものでもやっぱり掴み続けていると苦しくなってくる。

怒ったり悲しんだりしているものも多分自分では分かってないけど大切なんだろう。そうじゃなかったら掴むことはない。

身動きが取れない。掴んでいるのは自分なのに掴まれているみたい。

 

多分中心がそこになっているからその中心が動けば私もそれに合わせて動く。

 

手を離したら手がスースーしそうでこわい。

掴んでいる手を離したら無重力状態みたいにくるくると回って不安定になった。

でもそのうち自分の重力で安定した。自分の呼吸で動き出す。

ただ空間に静かに浮かんで自分の軌道を描き始める。

真ん中にはちゃんと重力がある。

私たちは星みたいに完璧なシステムがそもそもあって、重力や引力があって微生物とかそういう生き物を含んで存在している。

 

とーーーーっても大きなシステムの中の小さなシステム。

とーーーーっても大きなシステムを構成する小さな必要なシステム。

全ては似たようなことからできてる、相似形。

 

 

 

掴んでいた手を離して星であることを許される宇宙があるからね。

 

そして超新星爆発に向かって行くようにぎゅっとなっていきたいものです。

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大元はわからないままだけど

最近はまたダルくてゴロゴロする日もあるけれど、やっぱり食べ物が作る体や心に神秘を感じている。

 

動かしてる人間本体がぐうたらなのでうまくいってないことも多いけども。

 

人間は、いや宇宙は神様が作った最高傑作なんだと思った。

 

まあその神様というやつがさっぱりわかってないわけだけども。

そして最高って他に作ったかどうか知らんけども。

 

そう思って相対してみると全て違って見える。

もう今の時点で完全であるということ。

 

人間が一番そう思いにくいけど。笑

でもそう思いにくいところは多分神様には関係ないところ。活かすも殺すも自分次第なのだろう。

 

相手の何も見ず、存在だけを認識というか理解しようとするとなんと素晴らしいのだろうと驚きと感動で心が満たされる。

 

神様、創造主、いろいろな言い方あるしもしかしたら、なんの意図も性質も持たない純粋なシステムなのかもしれない。

 

もっと良い世界を作るための巨大な社会実験だったりして。だとしたらあんまりうまくいってないような…

最近では仮想現実の話もある界隈では賑やかみたいだし、だとしたらこの世界はなんなんだろうね。

なんて、適当に終わっちゃった。

 

あー。そうじゃなくて、この世界って完璧なんだなという目で見るととてもいい気分ですって話だったのだ。

 

 

 

たまには衝動的に書くか

いつもはこれでも推敲してます!笑

 

と。たまには衝動的に書こうかな。

キッカケはあれど時々溢れてくる怒りにも似た気持ち。でも怒りではないです。

よるだしなー。考えちゃうなー。

まあやってみよう。

 

 

 

原因追求には意味がない

過去が今をぎゅっと縛るならそんな過去はいらない。

過去を解けば今も解けるだろうか。

 

インナーチャイルドは現在進行形で生まれ続ける。または育ち続ける。みんなでずっと成長している。全部を引きずっての今だろう。

 

自分という存在は理由もなく尊くて、理由がないから説明も難しいけど尊くて、大事なのは連続性がなくても今この瞬間だけ、花火のように瞬間瞬間がある今だけしかない。

過去は嘘をつく。

幸せを選ばない自分を手助けする。

 

でも同じように幸せを選ぶ自分のことも手助けする。

 

結局は今この瞬間何を選ぶのか。

 

決めること。

原因から始めるのじゃなくて。

過去に構うな。

 

結果だけを選ぶことだってできる。

今ここから生まれることだってできる。

毎瞬生まれてみることを選ぶことはできる。

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走り書きになっちゃったけど。

現場からは以上です。

食べたいは生きたい

今日は散歩帰りに買い物して、家に着いたらほうれん草とゴーヤを茹でて、塩豚まで作った。

偉い。すごい。満点すぎるだろ。自画自賛

 

いいの、最近はこれで。

自画自賛していくの。

 

食べ物で体が作られている事がふつふつと感じられる。そういう表現あるかわかんないけど、ふつふつしてる。

 

具合が悪くなってから、生きてるものを食べたくなった。以前から時々レタスとか野菜からやけに水分をとりたくなることがあってそれに似ている。口で生きたものを感じたいのだと思う。それは私にとっては野菜なのだけど。

お肉は生命としては死んでから時間の経っているものだけど、野菜は食べる瞬間までいきて食べられるものだ。お肉も完全には死んでないのだろうけど…境目難しい。

 

それを口で感じたくなって生きてるものから生きていたものから生きる力をもらって私は生きたいのだと思った。

私がそう思うことは自分でも驚きの感情だ。特別死にたいわけじゃないけれどともかくそういう基本的なところが自分でもわからないでいた。

 

それが今体の中で蓄積される食べ物の力を感じている。胃の辺りを中心としてエネルギーが体を巡っている感じがしている。すごいな。

最初はタンパク質を多く摂るのはとても大変。だけど最近慣れてきた気がする。

 

野菜のことだけ書いたけどもちろん動物性のタンパク質も助けてくれている。食べると辛い時期もあったけれど自分が生きるのにそうすることの必要性を今感じているし生かされている、っていろんな角度はあるけどこれが今私に教えてもらったとっても大きいこと。

わたしは生きたいんだな。うん。

 

食べるものだけじゃなく植物が二酸化炭素を取り込んで酸素を出してくれていたりそういうのがあるから生きてるのもあるけど。

きっと今までのムシャムシャと食べていた空っぽなものも、生きたいとどこかで思ってた私が何かを満たそうとして空っぽなところを見ながらムシャムシャしていたのかもしれない。

的外れに一生懸命だったのかもしれないから褒めておきたい。

 

体が良くなっていけばきっと薄らいでしまう感覚かもしれないから自分のためにも今書いておくのがいいと思った。

 

 

 

おじさんに人気の日

今日は多摩川沿いの町に散歩に行った。友達が気になる公園があるというので。(ぶた公園)

ホントに豚の座れる置物があるだけの豚以外もいたからぶた公園じゃなくても良いのでは?と思ったのだが、一番大きいのが豚さんだったのでまあそういうことかと。

 

そこに座ってると走ってるおじさんがわざわざ来て私の顔を見ながら豚の鼻にタッチして走っていった。

見方が怖かったので友達のところへ行っておじさんが怖かったと言った。友達は走ってる人とおじさんに対する偏見にはなかなか強いものがあるのでそれを加速させてしまったような気もする。

 

まさか豚が豚に乗ってるとニヤつかれたのでは!?

まあいいや。

 

とても暮らしやすそうな町で、私も引越し候補に入っていたのだけど、案内された家が良くなくてやめた町。

小さな本屋さんに入って友達がマルチーズのカレンダーを買った(友達は毎年マルチーズのカレンダーを買っている。)のだけど、店主のおじさんが何故か本屋をやってから犬を飼えなくなったと言い始めて、嬉しそうに犬と猫がいたんだけど云々言い始めた。おじさんどした、と。

お話聞くの嫌ではないし犬猫の話となれば聞きたかったのだけど、おじさんずっと喋りそうだったので友達が途中から無表情になってスッと帰ったのが面白かった。

 

短時間でおじさんに親しみをもって話しかけられて変な日だった。

 

私のような私たち

ごはん気をつけ始めて1ヶ月以上過ぎた。

足りない栄養素をサプリメントで補いつつタンパク質に気をつけながら過ごしている。

どうにか料理もなんとかかんとか。

活動は外だけで力を使い果たしていたのが、徐々に家の中での活動量が増えてきている。

気持ちもともかくボーッとして無気力で集中力もなくてという状況が変わってきている。

食べ物か?人間は食べ物次第か!!と。

また極端なこと考えてるかもしれないけど。

バクテリアにコントロールされてる話も何かで見たことある。トキソプラズマの話だったかな。

 

ともかく世界は見えてないけど微生物とか菌でいっぱいだし、例えば薬だって何からできてるかわからないけど、そういう食べ物の元々持っていた栄養素を早く効くようにしたものだろうし、この世のものでないものはこの世には存在していない。存在した時点でこの世のものなのだとかまたつまらないこと言うのはやめて、ともかく最初から解決策は用意されている。

 

今の私はキノコでありツナでありホエイプロテインでもある。いや、だったものである。空気中に含まれる微生物やら菌である。体の中もきっといっぱい微生物が働いてて…

 

ますます私が私である!というのが俺が俺がと言いたい私の中のいばりん坊がワーワー言ってるだけで、「私」ではなくきっと「私たち」なんだ。

 

私は私たちによって生かされているのだな。

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久しぶりに交通会館地下のラーメン食べたよ

やっぱうまいー

 

球根になる

ウィキペディア先生が言うには「球根(きゅうこん)とは、宿根草のうち、根、茎、葉などの特定の部分に養分がたまって変形・肥大化してできた貯蔵器官」

だそうだ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/球根

 

器官、なんかシビれる。

先の説明を読むとますますしびれるので一応リンク貼っておく。

 

ヒトも同じ。

なんかヒトには「ヒトも同じ」と思う能力があると思う。ともかくヒトも同じ。

 

いろんな経験をしてなんかぎゅーっとたまってくるのだ。どんな経験も養分になる。それぞれ独自に変形、肥大する。

 

それで時期が来たら芽が出ていく。