死んだ友人のこと

昨夜緩和ケアの病棟に入院したの友人のお見舞いに行った帰りに見た空のことを急に思い出した。

写真を撮ったのもあったかもしれない。

急に脳裏に映像が。

 

空を思い出したことをきっかけに記憶がするすると引き出され私にしてはあれこれ鮮明に覚えていることに驚いた。駅前のパチンコ屋の毒々しい色の花とか病院に行くまでの道、病院の入り口で迷ったこと、会う前にちょっと気を引き締めたこと、看護師さんに面会は何分、と言われたこと、広い病室、大きなベッドに横たわる彼女の様子(ここでは書かないけれど)、意識があるかわからなかったので手紙を置いてきたこと、帰り道ちょっと泣いたこと、一緒に行った喫茶店に寄ってコーヒーを飲んだこととか(病院と同じ駅にあったのだけどその時は入院もしていなかったし何故一緒に行ったんだろう)、その写真を彼女に送った最後のやりとりで彼女はお別れをいってくれたこと、なのにまたね、と言ったこと。もうさよならだと分かっていたのに。

 

細い道にあったケーキ屋さんにはもうケーキがなくてまたお見舞いに来たら買おうと思った。

あとは大通り沿いから見た空とから、駅までの適当に歩いた道とか。確か池袋まで歩いてみたんだった。そう、電車に乗りたい気持ちじゃなかったのだ。

 

彼女の激しい人生の場面のいくつかに立ち会ったときのこと、彼女の本当の気持ち。

 

私には経験のないことばかりでなんの力にもなれなかった。話を聞くことしかできなかったけど彼女にはそれが良かったのかもしれない。

 

命日が近いのか?と思ったけどそうでもなかった。調べたら2015年の3月が最後のメールでその後だから。思ったより時間が経っていなくて驚いた。もっとずっといない気がしたんだけどな。まだ5年、ほんとに?

5年の間、私はなんの進歩もないよ。

 

 

結局お見舞いにはその一度しか行けなかった。いや、行かなかった、が正解かもしれない。

生きて元気な時に私が関われるやり方で精一杯やってきたから、後悔はしていなかったし、こういう言い方はとても良くないけれど気が合ったわけでもないのに私を良く思ってくれたのがずっとわからなかった。今でもよくわからない。

 

でもちょっと泣いた。

亡くなって初めて泣いたかも。

色々あってお別れも出来なかった。

娘さんが気になって何度かメールをしたけど返事が来なかった。

 

 

誰かが亡くなった時、私はそんなに仲良くなかったりしても涙が出てしまうんだけど、それはご苦労さまでした、という尊敬の気持ちに近い。

生きるのは大変なことだろうしそれを立派に終えたことを心から尊敬する。

 

でもなんだろ。急に。

たまには思い出してよーということかな。

そんなことないか。

ダラダラ書いた。

なんでも遅れてやってくる私の感情。