続き。
続き、というか1を書く前のこと。
少し前、外に出ると何故か涙が出た。家では大丈夫なのに、バスや電車に乗っていたり、町で人々を見ると情緒が不安定になったことがあった。頑張って泣くのを我慢しても涙が出た。
娯楽が制限され、経済的な不安、SNSでも心が荒れる人を見かけたり。薄くなった皮膚が擦られるような気持ちになった。
世界にただよう苛立ちや疲弊したような変な緊張感を空気の中に感じたのだと思う。
「半年前はこんな世界じゃなかった」。悔しいような、悲しいような。怒りのような。
そんなことに疲れて闇に突入!
久しぶりにやってしまった!!
なかなかの状態で自分で抜けられない!
なのでセラピーを受けた。
しかし話をしているうちに、そこは悲しくてつらいのに、安全で心地がよいと感じている自分がいた。話をしながらそこから通りをゆく人(多分普段いる世界)を眺めていた。
(ややこしいけど、話をしながら私の内側の私はそこにいて、その場所に入るとつらさがやわらいだ。)
私が生きていくうえで抱えてきた全くなにもない静かな場所、安全地帯。
久しぶりの感覚。
闇が心地良いなんて!不健康!笑
私はそこでひとりではなかった。保護者のような存在がいた。子供が見えない友達を作るみたいなことかなー。想像上の保護者。
大人になってからは、そこはいてはいけない場所で、光の中にいるのが健全で良いことなのだと正しいと思いながらやってきた。なかったことみたいにしてきたのだ。
でもちゃんとあった。
ああ、頑張ってきたのに。せっかく元気に毎日過ごしていたのに、と努力が無駄だったような気になった。
元からニコニコしてますけど何か?みたいな顔していたのに。(どうもバレていたようだけど…)
でも悲しかったと同時にその闇の側に身を置くとなんと気持ちのいいことか。笑
何十年もいたところだもの。
闇、といってもそこはおどろおどろしい魑魅魍魎のいる場所じゃなくてパニックルームみたいなものだろう。
セラピーのあと、闇の保護者と共にいると感じると、外で泣くことも少なくはなったし泣いてもそこには安心があった。情緒不安定ではない!(断じて!)
やっぱり光だけで存在するのはこの世界では無理がある。物体があるので光があたればそこには影ができる。
その光は自分で作ったんだろうな。自分で作った光で自分で疲れちゃって。
でもその世界も自分が頑張って作ったからそれはそれでえらい。笑
で、闇は闇で偉い。(語彙…)
自分を守るためにどちらも存在している。
で、その光と闇について考えていたので1を書いた。
猫が長い
話していると、自分でも思わぬ方向へ行くことがあります。思わぬ気持ちが隠れている。話をしながら自分に別の気持ちがあると気づく、というかな。
最初は途切れ途切れでも、段々手品で口から国旗出すやつみたいにどんどん出てきます。笑
私はその保護者に会ったけれど、それがすべてではなくやはりつらさはまだある。
しかしその保護者と闇(パニックルーム)に再会したことが私にとって気持ちを保つ大きな土台になった。
今は保護者の出番は減ってトワイライトタイムまたはいい光量のことを考えている。
光量は人それぞれ違っていいと思う。
暗くて文字がやっと見えるくらいがいい人もいるだろうし。その日によって変えたりして。
調光できるやつね。
そういう臨機応変さを身につけられれば最強かも。
つらい人はもっと気軽にお話、してみるといいと思います。
こんがらがってしまう前に。