家族とは騒ぎがひと段落すると私はそこから離れる出来事が起きる。
ということの繰り返しだ。
惑星の軌道みたい。
パターンを忘れているのであそっかと思う。
父の事を許せないとは思っていない。
ああいう事は受け入れられないだけ。
色々あるけれどなんとなく幸せだ。
多幸感よりなんとなくが続くのがいい。
多幸感はのちのち大変なのだ。
理由を探さなくてもなんとなく幸せでいられる幸せ。
信用できる人がいたり、友人がいたり猫がいたりと、幸せな理由も十分過ぎるくらいにある。という土台があるということかしら。
これからもなんとなくや漠然とした良い予感の中で生きていくのではないかと思っている。
うわーって悩んだり凹んだりしてもある時「なんとなく幸せだったな私」にいたる。
言葉通り上を向くと大概は気持ちがちょっと晴れる。
単純なことだけどほんとそう。
そんなこともなんとなくの一部。
今年になって気づいたことは何事もなくても感謝の気持ちが湧く時、同時に幸せを感じているのだということ。
姉と父は感謝をすることより、自分がどう思っているかだけを主張することに忙しくて相手の気持ちや相手への感謝を考えることにまで至れていないようにみえる。
だからか姉や父が幸せそうにしているのを見えたことがない。
幸せが私と違うだけかな。
幸せを感じたいなら理由なんかいらないので感謝しろってことなんだと思った。
簡単だった。
大変おかしな世界になったけれど来年は世界の人々や動物やら何やらまるっと「なんとなく幸せ以上」の世界でありますように。
奇跡の三密。
ウールブランケットの魔力。
なんとなくといえばこの曲ですね。