引退馬の森

YouTubeの関連動画は何を拾ってきてるのかわからないけれど、ゴールドシップという今はもう引退した競走馬の動画がやたら出てきたので見始めた。

いやーすごい。面白いやつ。

お調子者で気分屋で…何より強い馬です。

 

ゴール前の直線、馬は飛んでる。

思いっきり走る動物はなんていうか何かが全開で美しい。
競馬も行ってみたいなあと思うようになりました。

 

そして。YouTubeは何を見せたいのか。

勝つ馬がいるということは負ける馬がいる。引退してもその後名前を聞くことができる馬はごく一部だと思う。第2の馬生、色々なところに行くのだと思うけれどやはり見たくなかったような場所もある。私はそこはどうこう言わない。言ってもどうにもならないし見るのは辛い。甘いと言われても。でもそういう現実がどうしようもなくそこにはあってまずはそれを知ること、それしかなく。

 

 


www.youtube.com

これを見た。

引退馬の保護活動(言い方のニュアンスが違っていたらすみません)をしている人がクラウドファンディングに参加してくれた方にお礼をしています。そしてこれをきっかけに保護団体を立ち上げたので引き続き支援をしていただければ、と言うものです。興味のある人は見ていただければ。

月1800円で活動のお手伝いができます。

 

有料会員になりました。
私は馬となんの接点もないです。かといって馬が嫌いな理由もない。他の動物同様に等しく好きです。機会があれば会いに行ってみたいし。

しかし子供の頃かぷっと噛まれたことがあってそれ以来ちょっと怖い。
馬にしたら「え?そんな泣く?」ていうことだったろうな。
「ちびが来たな、よし構ってやろう」てちょっとカプっとね。

 

ともかく。

何かを決める時って大概はこんなものかもしれない。何にも考えずヒョイと境界線を越える。


パッと決めるか、ずっと決められないか。

「奴は死ぬまで保留する。」というアカギの言葉が思い出される。痺れる。


その社会に参加するかどうかってこと。そこのハードルって何故か高い。

日本は寄附があまり根付かない文化でもあるという。最近はだいぶ変わってきたかも。クラウドファンディングの影響かな。

 

ご飯食べに行っても、最初にパッと決められないと考え始めてしまう。
もし後から誰かにパッと決めたのとずっと迷って決めたもの、どっちがよかった?って聞かれたらきっとどちらを選んでもそれなりに満足したと思う。


考えてみたら1800円に何をぐちゃぐちゃ言うか。

コロナ禍で外食もしなくなったしライブも行かなくなった。全然打撃なし。

 

 

色々悲しかったり腹の立つことはたくさんある。ほぼ無力感しかなくて知るたびにイーッてなること沢山ある。

それに他の生き物を殺さないと生きていけないのは知っている。お魚も豚も牛も食べなければならない。

なんかそこじゃないの。そういうところで話したいのではないの。

 

私は悲しい現実を皆に知らせる役割ではないと思っている。そう言うところに気がつく目を持った人がいて、そこは任せたい。

そして正直そんな動画を直視できるメンタルも持っていない。弱虫だ。

現実を直視しなくちゃ!動物が好きなら強くいなくちゃ!ていうのもわかる。でも目を逸らしていても少しでもハッピーな動画が増えるのを見るためにできることをやるという参加だっていいと思う。

という感じで有料会員になったのだった。

有料会員になっただけではお馬さんに会いにはいけないかもな。スポンサー(?)になる、というのがそういうことなんだろうな。会えなくてもいいし。


ていうぐらいちゃんとシステムを把握してないんだけど。(^◇^;)



お金もきっと喜んでくれる。この使い道。

 

そして、「引退馬の森」の存在を知ったのもゴールドシップのおかげだ。

 

ゴールドシップという馬が名(迷)馬であったから競馬に縁もなかった私が月々1800円を払うことになり私がこういうブログを書いている。」

 

話は戻ってゴルシは均衡の取れた馬だと思う。

それって最近私が思う魂の均衡が取れているものが影響を与えた良い面なのだと思う。

元々持って生まれた命をそのままに生きると(ここが均衡)それが自分勝手だとしても周りに良い影響を与えるように思う。

 

うーんと。何言ってるか省略しすぎかな。