長寿守り

ちょっと前の話だけど。

お正月に氏神様にご挨拶に行って交通安全のお守りと富士山に縁のある神社なので富士山のついたお守りを買った。

両親にもお守りを買った「長寿守」。年寄り扱いとか思われるかなあ…と思いつつ母が病気したのもあったし。

 

でもお守りを渡すことにはかなり抵抗があった。しかしうまく言えないけどそれをした方がいいと思うから。感謝してないとかなんかそういう括りの話ではないからうまく言えない。娘としてそれをした方がいいと思うから。多分。年老いた両親に。

 

先週実家に行った時に母に渡して父はいなかったのでテーブルに置いておいた。

母は例によってわかりにくかった。敬語だったし。笑

先日、母の病院に付き添いで行った時にバッグにお守りがついていた。すぐに気づいたのだけど言えなかった。

すごく奇妙な気持ちで見ていた。この後この気持ちが「嬉しい」に変化するかわからない気持ち。

そして病院から帰ると父も身につけていた。

初詣にも行かない人たちだ。

娘が買ったものを使ってないと申し訳ないからだろうか、とか色々考えた。

 

ありがたいなと思った。これはきっとありがたいことで、私がこの家の娘として生まれたことに関してある結果にたどり着くのに起きていた方が良いことだ。

今、私と実家の関係性は何かが変化している。よくわからない、言葉にもならないし。

実家だけじゃないか…家族ってものがよくわからない。

 

きっと喜んだと思いますよと言ってくれる人がいて。でも「それなら良かったです」みたいなことしか言えなかった。嫌いとか憎々しいとかそういうんじゃない、ただよくわからない。でも喜んだのか。変な感じ。

でも積み重ねた方がいいと思う。

 

自分の中には天岩戸に隠れたちびっ子の私がいて、その岩戸はもう少し大きくなった私自身だ。

 

天照大御神と違うのは問題は岩戸自身にあるのだということ。

今年は自分の中のチャイルド問題をやっていくつもりでいる。正直岩戸の私はなかなかの岩戸だと思う。

 

(記事前後したけど、この時すでにいわとちゃんのこと書いてたんだな)