信頼のこと

 

電車で隣に赤ちゃんとお母さんが座った。

赤ちゃんはまだホントに小さくてまるでまだお母さんのお腹に入ってるみたいな顔で寝てる。見たことはないが。

なんの怖れもない。なんの疑いもない。

 

ずっとこうじゃダメかな。

これをやってみたら。

と思った。

 

これが何かとある空気や状態を作り出すのに必要な在り方ではないか。

全幅の信頼をおく。

何があるから信頼するのじゃなく。デフォルトで。私が信頼そのものだとおもったっていい。私が信頼で楽観で。

 

だからって「お金くれるっていうからキャッシュカードを送って暗証番号まで教える」みたいなのじゃなく(ニュースで見た)。あれは怖れから発信してしまってる気もするが。

 

わたしたちは常に変化し続けるとある状態なのだと思う。一瞬一瞬変化を続けている。

 

だからそれが「信頼」であってもいいわけだ。私という言葉を変えただけ。

在り方の説明をするのは難しい。

「在る」のは「在る」でしかなく。

あれ。なんか矛盾したかな、言葉の問題かな。

 

自分は世界、自分を包み込むゆりかごのようだと思うこと、自分でありゆりかごでもある。世界は赤ちゃんがお腹の中にいるような顔をして眠っていたお母さんのようだとイメージすること。

 

生きるのって実験だな。

 

母なる地球っていうし。

なんで神様は父で地球は母なのかしら。

 

駅近くの猫。

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