食べたいは生きたい

今日は散歩帰りに買い物して、家に着いたらほうれん草とゴーヤを茹でて、塩豚まで作った。

偉い。すごい。満点すぎるだろ。自画自賛

 

いいの、最近はこれで。

自画自賛していくの。

 

食べ物で体が作られている事がふつふつと感じられる。そういう表現あるかわかんないけど、ふつふつしてる。

 

具合が悪くなってから、生きてるものを食べたくなった。以前から時々レタスとか野菜からやけに水分をとりたくなることがあってそれに似ている。口で生きたものを感じたいのだと思う。それは私にとっては野菜なのだけど。

お肉は生命としては死んでから時間の経っているものだけど、野菜は食べる瞬間までいきて食べられるものだ。お肉も完全には死んでないのだろうけど…境目難しい。

 

それを口で感じたくなって生きてるものから生きていたものから生きる力をもらって私は生きたいのだと思った。

私がそう思うことは自分でも驚きの感情だ。特別死にたいわけじゃないけれどともかくそういう基本的なところが自分でもわからないでいた。

 

それが今体の中で蓄積される食べ物の力を感じている。胃の辺りを中心としてエネルギーが体を巡っている感じがしている。すごいな。

最初はタンパク質を多く摂るのはとても大変。だけど最近慣れてきた気がする。

 

野菜のことだけ書いたけどもちろん動物性のタンパク質も助けてくれている。食べると辛い時期もあったけれど自分が生きるのにそうすることの必要性を今感じているし生かされている、っていろんな角度はあるけどこれが今私に教えてもらったとっても大きいこと。

わたしは生きたいんだな。うん。

 

食べるものだけじゃなく植物が二酸化炭素を取り込んで酸素を出してくれていたりそういうのがあるから生きてるのもあるけど。

きっと今までのムシャムシャと食べていた空っぽなものも、生きたいとどこかで思ってた私が何かを満たそうとして空っぽなところを見ながらムシャムシャしていたのかもしれない。

的外れに一生懸命だったのかもしれないから褒めておきたい。

 

体が良くなっていけばきっと薄らいでしまう感覚かもしれないから自分のためにも今書いておくのがいいと思った。