読書は苦手。
それは集中の問題だけれど。
さらに言うと、物語に触れたいと思えない。
その奥のものを見れば良いのだけれど。それには興味があるのに物語を考えると重い腰が一段階また重くなる。
時々思い出すことがある。
17、8歳の頃、よく遊んでくれた大人達がいた。
大学生のお友達と25歳くらいの大人たち。
その1人、Tさんはメリル・ストリープ好きで映画の助監督かなにかやっていた気がする。高校生の記憶だからあてにならないけど。
なぜかTさんと2人で会ったことがあって、日比谷公園みたいなところを歩いていた気がする。
当時の私は詩が書けなくなってしまい、書きたいかどうかもあまり今では覚えてないけど、そんなことを話していた。
「それは自身が詩になってしまったのでもう必要なくなったんじゃないかな。」
とそんなような言葉をかけてくれた気がする。
そうなのかなぁ、というような分かったような分かってないような返事をした気がするけど…今考えるとなかなかの会話だ。
私が周囲で話を盗み聞きするおばちゃんならキュン死したことだろう。
なんてこった。
ともかく。
じゃあ今は私は物語になってしまったんだろうか。物語が必要ない。
周りにあり過ぎてお腹いっぱいだよ。もうこれ以上いらない。創作はいつだって現実の比じゃない。入る隙はない。
でもきっと物語は育む。大事なものを。現実を生きるために必要な耐性やアイデア、救い…。
だから現実でお腹がいっぱいになる前に物語や映画や詩を詰め込んだらいい。
そしたら現実のストーリーから救いのある物語を抽出する力がつくかも知れないし。
でも大人になった今の私はなかなかそこまで辿り着けない。
というところで今日も現実の物語が続いていく。