ひょんなことから好きな映画の中のワンシーンにあるダンスが創作でないことを知った。スーフィーダンスといって、イスラム神秘主義と言われることがある「スーフィズム」の修行方法のよう。旋回舞踊と書いたりもしていきなり名前がカッコいい。頭悪いな。
石岡瑛子さんの衣装デザインが素晴らしい。ターセム監督の映画には欠かせなかったのにな…
簡単に書いてくれてる人がいます。
https://www.el-aura.com/god20150919/
なぜか伝わるものがある↓
花火好き。
と言っても全国まで見にいこうという熱があるわけじゃない。いや、なくないけど、いつ予約するとかなんかそういうのが難しい。予約、段取り…(-_-)zzz
爆発は全てを馬鹿馬鹿しくさせる。テリー・ギリアムの映画を見るとそう思う。今まで必死に築いてきたものも一瞬でなくなる。虚しさの極みかも。いや、そんなに大した事は考えてない。
「きれー!」「スカッとする!」
今の美しさ、瞬間の美しさ、そんなところかな。
使い道を間違えば全てを滅ぼしてしまう発明。世界中のミサイルとかはみんな花火になればいい。私が魔法使いならそうするのに。
むしろなんでしないのかしら。あんなにきれいなのに。
世界がこの状態になり、花火大会はずっとない。
しかし熱海でやってるんだよねー、20分くらいの短いやつ。20分のために行くんだろうか…熱海に…
花火見たいなー
ふらっとビルケンシュトック入ったらお店の人に「そろそろ修理に出された方がいいと思いますよ」と声をかけられた。
ビルケンのブーツだったみたい。インソールも剥げて見えないくらい履いてたからどこで買ったかも忘れてた。すごいなー、どこのブーツもそんなこと言うのかとか最初思っちゃった。
かわいいブーツがあったので履かせてもらっていたところで。そっか…修理かー。
え。じゃあ修理出すのはいいとして出したらどうやって帰るの?と思ってたら友達が「それ履いてかえんだよ。」って言われてああ、と。
なんというか。
そんなことで新しいブーツで家に帰っているところ。インソールは修理に出したブーツのものなので本体は硬いけどこなれてて新しい靴にしては楽。
ブーツは2月か3月に帰ってくる。
無限ビルケンになったら怖い。
そう言うことってきっとたくさんあるし、これは仕方ないとか投げやりというよりは「理由がわかったところでなに?」って開き直りに近いようなこと、そういうくくりっていうか。
理由がわかってもわからなくても自分の中で変わらないものはある。
その振り返りや確認をすることは不安や怖れの世界からちょっと離れて見るのに役に立つ。
その理由はその人のもの。その理由を気にするのも気にしないのも私が選べる。
てこと。
メールはなんというか難しい。
色々なことを書こうとするとやたら長くなるし、短文は読みやすいけど長文は集中できない。簡潔に書く分にはいいんだけど。文章力の問題かしら。
手紙ならあれ書こうかなこれ書こうかなと考えるステップがメールよりも丁寧にできる。メールは日常の延長上にあるけど手紙は日常から離れた空間、そんな感じがする。
手書きのスピードも大切だったり。思考に追いつかなくてイライラすることもあるけど。
ただ紙は疎まれたりするし、負担になるのかな。
気持ちのこもったものは重かったり紙の処分に困ったり。それが申し訳なくて書けない。
でも遺品整理してて手紙の束があるって素敵な人生だと思う。中身見られたら死ぬけど。もう死んでるけど。
でも良い手紙ならやっぱり素敵な人生じゃない?
コスパって言う言葉が流行ったりと、根っこは近い感じがするの。うまく言葉にならないけど。
人の傾向の移り変わり。ある意味進化だったりするかな。
焼売有名らしい。写真撮るなとかなかなかうるさい店だった。ビールのグラスがいい薄さだったな。