どっちが先かわからないけど

じぶんのためひとのため

 

誰かのために何かできて、その人の役に立てたなって思ったとき

驚くくらい簡単に自分の中にエネルギーがたまる。

 

じゅわっと。

 

自分を優先するとかしないとかそんな言葉はさておいてその瞬間には何かがある。

 

みんながそうじゃないかもしれないけど分量の差こそあれそういうところはあって、

ひとりで何かしてるときって、エネルギーは減るだけのような気がする。

消耗する、とかじゃなくて普通に使ってたら電池減る、くらいの感じ。

んー。でも充電期間ともいうし。

ヘトヘトになった時はひとりがよかったりするし。

 

だからじぶんのため。

誰かのためのようで一番お得なのはわたし。

じぶんが幸せを感じて、さらにまたあいてのためをできて、そうしたらエネルギーは溜まり、力は強くなっていくんじゃないかな。

 

人力の永久機関なのだな

あれ。生命って永久機関なのか。

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脳ならちょっと騙せそう

最近。

イメージの中で組み立てたことと現実との違いはなんなんだろうと思う。

 

だから会いたい人や行きたいところをありありとイメージして、例えば五感のようなものを勘違いさせれば行きたいところに行って、会いたい人に会えたことになっちゃうんじゃないの?

ある程度良い音で音楽を聴いて目を閉じてライブ会場を思い浮かべるとほらそこで歌ってる。

 

てなことを考えてて私このまま進んで大丈夫かなあ…とちょっと思う。

 

だってこうして目の前の猫にチュッチュしてるのだって更に巧妙な私が仕掛けたって言っても否定ができないんだもの。何重にそれがなっていたら絶対気付けない。

 

ね。

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今年初ムズムズ

新年になっちゃった。

今年は今年で目標もあるからまた書こう。

 

12日だか13日、突然色々やる気が出た。ずっとできてなかった支払いとか何件かしたり、出さなきゃいけない書類出したり。

 

いくらか気温が高かったり、漢方が効果出てきたのかなあと思ったり、栄養状態がいいのかなあと思ったり。

 

そしたらその日の夜、体がイライラしたりムズムズする感覚があった。

季節の変わり目、暖かくなってくるとある日それがやって来る。

 

でもまだ早くないか?まだ1月。せめて2月じゃない?

 

しかし来るものは来る。

 

私の体内時計は暖かくなる前の準備をちょっとしちゃったのだな。やる気とそういうのがごっちゃになった。

 

初ムズムズでした。

 

行かなくちゃの合図

この場所からもう立ち去らなければならない時にどうもゴダイゴの「銀河鉄道999」が流れる。

頭の中で流れるのではなく、実際どこかから流れてくる。人生で何度かしかないんだけど。

それだけ重要で勇気のいる局面だったりする。

 

今回たまたま見た動画から流れてハッとした。

 

世代なんだろうけど。もうここを離れて行かなくちゃ行けないんだって気持ちになる。

 

実際旅に出るわけじゃないけど。

 

ほんと名曲だなあ

https://youtu.be/uTqUiqszKAg

いつか吐くほどの星空を

今のうちは住宅街で街灯が少ない。なので家の前が暗い。

からしばらく眺めていると結構星が見える。

 

小学生の頃、スキーに連れて行ってもらった先で夜空を見上げた時、あまりの星の量に怖くて吐きそうになった。それ以来星空が怖い。多分。それ以来あんな星空を見てないからわからないけど。

 

だからいつか吐くほどの星空をまた見て、良い記憶で上書きしたいと思っている。大人になった今、きっといけるはずなのだ。

 

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いやいやいや。

最寄りの駅を走る電車は向かい合わせのシートがある。藤沢の友達に会い、帰りの電車で編み物していた。ふと顔を上げると向かいの女性がすごい手元を見ていてビシッと目が合った。

別になんともなかったんだけど、かわいいくらい狼狽えていて、「わたし編み物できないのでついジロジロ手元を見て、すみません」

 

私も負けじと「いやいやいや、全然、大丈夫です」(手をバタバタ)

 とお互い何往復かして降りる駅になり、女性は「失礼しました、私ここで降りますので…」

 

私「あ、私もここで…」

 

お互い終始アワアワしていて面白かった。

 

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うっかりしていたらお向かいの白い木蓮のつぼみが。

 

物語はいらない

読書は苦手。

それは集中の問題だけれど。

 

さらに言うと、物語に触れたいと思えない。

その奥のものを見れば良いのだけれど。それには興味があるのに物語を考えると重い腰が一段階また重くなる。

 

時々思い出すことがある。

17、8歳の頃、よく遊んでくれた大人達がいた。

大学生のお友達と25歳くらいの大人たち。

その1人、Tさんはメリル・ストリープ好きで映画の助監督かなにかやっていた気がする。高校生の記憶だからあてにならないけど。

 

なぜかTさんと2人で会ったことがあって、日比谷公園みたいなところを歩いていた気がする。

 当時の私は詩が書けなくなってしまい、書きたいかどうかもあまり今では覚えてないけど、そんなことを話していた。

 

「それは自身が詩になってしまったのでもう必要なくなったんじゃないかな。」

 

とそんなような言葉をかけてくれた気がする。

そうなのかなぁ、というような分かったような分かってないような返事をした気がするけど…今考えるとなかなかの会話だ。

 

私が周囲で話を盗み聞きするおばちゃんならキュン死したことだろう。

 

なんてこった。

 

 

 

ともかく。

じゃあ今は私は物語になってしまったんだろうか。物語が必要ない。

周りにあり過ぎてお腹いっぱいだよ。もうこれ以上いらない。創作はいつだって現実の比じゃない。入る隙はない。

 

でもきっと物語は育む。大事なものを。現実を生きるために必要な耐性やアイデア、救い…。

だから現実でお腹がいっぱいになる前に物語や映画や詩を詰め込んだらいい。

 

そしたら現実のストーリーから救いのある物語を抽出する力がつくかも知れないし。

でも大人になった今の私はなかなかそこまで辿り着けない。

 

というところで今日も現実の物語が続いていく。

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