ちょっとわかった健康

なんとなく毎日を生きるには当たり前がかけている。そういう当たり前を積み重ねないでこの年になってしまった。

自分を大事にするとか体を大事にするとか食事の大切さとか。

 

そしてちょっとわかったかもなこの頃。

 

どこが始まりかはわからないのだけど、どこかをキッカケに色んなことが同時に起こって寝られなかったりやる気が起きなかったり、ともかく同時に起きて全部の生き物としての機能が落ちていった。生命のレベルが下がっている感じがした。体がうまく動かなくなってきた。

多分目の病気が最後の一押しをしたような気がする。家の中でも動くのになかなか慣れず家の中でもじっとしてるようになった。

 

一日何かすると翌日は起き上がれなくてほとんど横になっている。毎週のように会う友達とご飯を食べるのと、仕事で行く実家でちゃんと生きた食べ物を食べるっていうか。その2つのイベントをこなすため他の日は休むみたいな日々。

完全に悪循環。

 

そして思い立って知人が通っている統合医療の病院を受診した。調子が悪いとやった方がいいことも思いつかない。

 

ようやく何を食べるのか、ちゃんと向き合うことになりそうだ。そして口に入れるものを変えると体が変わって行くどうかもわかるんだろうな。

 

 

巡ると巡り、動くと動く。

食べたもので体が作られる。

心も体。食べたもので体が体を作る。生命凄すぎるわ。

そんなことを実感することになったらいいな。

動けずにじっとする日々は運勢のようなものも私の周りではピタッと止まった気がした。空気が動かないというような。

 

副腎疲労低血糖甲状腺機能が亢進気味(これは元々ある)

 

まずは足りない栄養素を補って血糖値の推移をなるべく穏やかになるように糖質の取り方に気をつけてタンパク質をもっととるという食生活。

 

まだ横になりたがりだけど、少しだけ起き上がる気力が出る時間が出てきている。家のことちょっとやってる。

 

結局体って脳も体だから気分も変わるよね。そういうせいもあるかも。

どこかだけが悪く、どこがだけが良くなるわけではなくて多分全体。生命全体で落ちていき、生命全体であがるのかも。

健康とか体とかちょっとだけ理解できたかもしれない。

自分が虫や、動物と同じただの生き物だと思えた。ことが生命をちょっと理解できた気がして嬉しい。

 

 

鳥で考えた

信号が変わるのを待っている。顔を上げたらとても高いところを2羽の鳥が飛んでいた。

 

あー。そっか。

鳥で考えるとわかりやすい。

 

鳥は飛ばないと落ちてしまう。

それぞれが飛ばないと行きたいところへ行くことができない。群れも季節までにワタリを終えることができない。

 

人間は地面に足をついてるからよっかかってもおぶさってもどこにも落ちてはいかない。

だからよっかかったりおんぶしてって言ったり。

 

 

1羽でも2羽でも群れでもそれぞれがちゃんと自分で飛べる鳥でいれば。

そしたらきっと早く素敵なところへ着いて、

美味しいお茶なんか飲んじゃって。

 

勝手にひとりでやれってことじゃないの。

群れや複数で生きるためにも自分で飛べることは最低限のこと。もちろん完璧じゃなくていいし、ただ自分でちゃんと羽ばたいてるかってこと。

 

ここのところ考えていたけどしみるほどの理解できていなかった。

世界にオープンでいればヒントは色んなところに用意されている。

なんだかそうやって進めていくゲームみたいだなと思う。

頑張ろっと。

 

 

 

 

変わってない時、どうしてみるか

久しぶりに父のやらかしに遭遇。

酒飲んで暴れたってことなんだけど。

 

トラウマチックな身体の反応を感じながらも冷静に対応したけどちょっと失敗もした。少し逆撫でしたから。久しぶりにやったろかモードがうずいた。逆撫ですれば母へのやらかしが激しくなる。

だからやめた。

周りを怒鳴り侮辱して大枠で言うと俺を大事にしなかったことへの全力の抗議。抗議という暴言。

子どもかよ。何言ってもいいと思ってる俺様。

体と声が大きく物を投げたりするので始末が悪い。甘えてる。

 

私は追い出されたので自宅へ帰る車の中、色々な考え方をしてみようとした。

 

私のこの気持ちの内訳を考えてみたり。

 

結果、

親父きも!

 

52歳にキモいと思われる82歳。

キモいはカワイイとヤバイと同じくらい便利ね。

 

自分の気持ちの切り替えがあまり進歩してなくてガッカリもした。

 

でもひとつ思うのは、この感情は私では無い。ということ。

正確には私そのものでは無い。こと。

 

と。同時に、ふと思った。

父もそうだろうか。

 

あの大暴れ母への暴言も父そのものでは無い、ただの父の感情。過去の経験からの反応。

言ったら過去の亡霊や魑魅魍魎に取り憑かれた状態の人がワーワー言ってるだけ。

 

亡霊や魑魅魍魎を憎んで父を憎まず。

 

私もまたこのトラウマチックな反応はそんなモノ達がしていること、私そのものではない。

 

 

という処理の仕方はあんまり良くないような気もするな…

それぞれの魂の輝きを信じた上での、という前提が有ればまだいいだろうか。

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賢者ニコはひらべったくなりながら考える。

 

何が一番大事なのかな

みんな何が一番大事だと思って生きているんだろう。みんなって誰ってことでもあるし、きっとそれぞれすぎることで、私が知ってもしょうもないことだけど。

 

私は愛が一番大事。

はい。

 

愛って色々で読む人それぞれの愛がある。

私にとって愛は全部。前の記事で書いた宇宙が始まるときにひっくり返った宝箱に入っていたのは愛だったのだと思う。なんでも作れちゃうやつ。

そのうち違う言葉を見つけるかもしれないけど、今はその名前で呼ぶ。

私が言ってる愛は性質を持ってない、家族愛とか恋愛みたいな性質を持たない。

ただ、それは完璧で何にでもなれる。

結合の仕方でさまざまなものになる。

石になったり水になったりプラスチックや虫や猫や人間や空気すらも。

なんの性質もないけれど何にもなれる性質も持つ。

 

ていうのが私にとっての愛。私が愛と呼ぶもの。

だから全部ってことか。ちょっとズルかな。

素材として世界を受け入れてるような。

 

 

神様の分身というか作ったもの、と考えると絶対的な信頼のようなものがある。

 

根拠はなんだろう

 

わからない。

私いつから神様信じてたっけ。神様だってなんだかわからない。ただのエネルギーかもしれない。

小さいおじさんかもしれない。

 

でも信頼ってそういうところある

根拠があるから信頼できるのではなくて信頼があるから根拠も信頼できる。

 

 

だからそもそも愛しか世界には存在しない

私もそう。私は愛が一定の法則で絶妙なバランスで結合されたものが維持されたもの。

なんでもかんでも。

 

今の世界はもしかして何かが変わってきているのかもしれない。暑過ぎたりとか寒過ぎたりとか。でも維持されている。全てのバランスが崩れたなりの、崩れたというのも比べばだ。今日生まれた赤ちゃんはそんなこと思わない。

 

崩れた状態でたもたれている。形が変わった。全体が変わった。

 

このやり方に乗っかるのは好きなんだけど、困るのは自分という感覚が消えてしまうというか、どうしていいかわからなくなること。だってみんな同じものだから、全体のバランスに意識を向けるとどうしていいかわからなくなる。

でもそんな風に考えながら日々生きていくのはなかなか難儀だ。

 

そこがまだ見つけられてないこの世界の過ごし方。

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勝手にやらせてもらってますというスタイル

今日新宿御苑に行った。

ふと桜の木を見ると蕾になるんだろうなという芯がある。暑さがおさまってきてはしゃぐ私をよそに木は黙々と自分の準備をしている。

時間がかかるものね。でも日々ちょっとずつ、わからないくらい進めてる。前の前の季節からもう始まってる。

いや。なんなら花が咲いて散ったら次の花の準備がもう始まってる。目的はシンプルだ。当たり前にこなす。日々を普通に生きている。やることやって。

わたしも何もできなくても毎日ちょっと何かすれば、自分の当たり前を生きれば、木たちみたいにいられるんじゃないかって元気付けられる。

 

こっちが勝手にそう思うだけだけど。

そういうところも好き。
ただ自分であることで周りが勝手に学ぶ。理想だなって思う。

 

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その日を楽しみに。

おわりがないというのは怖いことだという思いがある。

だけどそれはあまり所謂健全な考え方の感じがしない、というかそう思う人には心配かけてしまうかもしれない。だからあまり人に言うものではないとも思っていた。

 

けれどもやっぱり落ち着く。

終わりがあるのだと思うと安らぐ。

 

全てに終わりがあって終わりとはすべてハッピーエンドだ。

辛いストーリーなら終わってよかったね、で幸せなストーリーならめでたしめでたし、だし。

 

今がただ続いて行くだけと思ってしまうと絶望感でいっぱいになる。視点が定まらなくなる。

 

だからその日を楽しみに今を見て生きていく。生かされるままに生きていく。

今不幸なのかと言われそうだけど不幸から逃げたいわけじゃないし、不幸じゃない。無理矢理終わらせたいわけでもない。

 

不幸だったことなんてきっとなかったのだと思う。

 

不幸とかそうじゃないを取っ払った今を正面から見つめて終わりを楽しみに今をガン見していく。今とがっぷり四つ、ひたすら今と踊る。言い方は何でもいい。

 

 

 

宇宙ソーセージより

宇宙が生まれた時、何かしらの玉手箱みたいなのがひっくり返って、そこに入っていた「すべてのものが作れる万能素材」がぶちまけられて、星ができたり生き物ができたりしたんじゃないか。

 

だから宇宙ができた時と今では何も新しく加わっていないのじゃないか、そんなことをふと考えてついてみた。

 

さいしょっからもう全部揃ってた。それがあーでもないこーでもないとコネコネされてアメーバができて恐竜になってネアンデルタール人になって、同じ材料から岩ができてお水ができたり空気ができたり。

わたしも岩も同じ材料でできてる。

 

だから何にも変わってない。

いくらバタバタしても本当に新しいものを生み出すことはできない。お釈迦様の手のひらの上から出ることはできない。

 

そんな私の思いつきを頭のいい人がそうだよって言ってくれたらいいのにな。