早朝、多分葬儀に向かうご夫婦が駅への道を歩いていた。暑くなりそうな陽射しの中、長袖のスーツは既に暑そうだ。
自分が死ぬ日はどんな天気だろう。
そんなことを思った。
ご夫婦は私とは逆へ行く電車のホームへ入っていった。
電車に乗るとフリルの沢山ついたお洋服を着せられた赤ちゃんが。お母さんらしき女性はフォーマルを着ていたけれど上着は白で多分お祝いの場に行くんだろう。赤ちゃんはお母さんをベビーカーからじっと見ている。
私が生まれた日はどんな天気だったのだろう。
悲しみの場に向かう人には独特の空気がある。何か義務のような。それは嫌だとか言う義務ではなく。
死者を見送る生者の義務か。
きっと親戚とか友人とかと悲しみの挨拶をし、葬儀が終わり寿司でも食べるのだろうな。
お返しにお茶をもらったりして。
あの漂う空気はなんだろう。
なにかのっぺりとした。
もう家を出るとき、なんならお知らせが来た時からあの空気は彼らの周りを漂っているのだろうな。
私が死ぬ日はどんな天気でもいい。
窓から外は見たいかな。