言葉は物事を固定するような気がして言葉に注意を向けてしまう。
そうすると余計固定されそうだけども。
でも意識していないとスッと自分の中に好ましくない言葉が入り込んでいることもある。
それは自分が受容体を作ってるだけなんだけど。
言葉は祝いにもなるし呪いにもなる。
でも日常的に言葉は使わなくちゃならない。
受容体をどうするか。
とにかく発する方より受ける方をなんとかすれば問題はあまり起こらない。
ていうか何も起こらない。
何もかも自分次第にまた戻るんだけど。
静電気が起こらずツルツルとした生地には花粉がつかない。それと同じことが心にも起こるんではないかな。
発する方と受け止める方のでことぼこが合致するとさらに強固に固定されたりする。
そこまで考えなくてもある程度の受容体があれば、言葉は簡単に固定させてしまうと思う。
それは誰かの心に少しずつ根を伸ばしていくかもしれない。
だったら素敵な花や草木が育つようなのがいい。
そういうことで考えると、普段から良い土になるように栄養を与えたりする自分の土作りは大事だろうな。
水をあげたりとか。
待てよ。
自分で自分の花を咲かせられた方がいいな。他の人に何もされなくたって。自分で養分を取り込み自分で成長する。外からされるのではなく、自ら外に取りに行ったり。自給自足か。
喩えだらけだけれど。
直接的な言葉より喩えの方が受け手は自由かもね。
書いてて思ったけど、私は何より固定されたりするのダメなんだと改めて。(^◇^;)
決めつけられるの考えてたら本当にゾッとしたので…あの父にしてこの娘ありだな。