何が一番大事なのかな

みんな何が一番大事だと思って生きているんだろう。みんなって誰ってことでもあるし、きっとそれぞれすぎることで、私が知ってもしょうもないことだけど。

 

私は愛が一番大事。

はい。

 

愛って色々で読む人それぞれの愛がある。

私にとって愛は全部。前の記事で書いた宇宙が始まるときにひっくり返った宝箱に入っていたのは愛だったのだと思う。なんでも作れちゃうやつ。

そのうち違う言葉を見つけるかもしれないけど、今はその名前で呼ぶ。

私が言ってる愛は性質を持ってない、家族愛とか恋愛みたいな性質を持たない。

ただ、それは完璧で何にでもなれる。

結合の仕方でさまざまなものになる。

石になったり水になったりプラスチックや虫や猫や人間や空気すらも。

なんの性質もないけれど何にもなれる性質も持つ。

 

ていうのが私にとっての愛。私が愛と呼ぶもの。

だから全部ってことか。ちょっとズルかな。

素材として世界を受け入れてるような。

 

 

神様の分身というか作ったもの、と考えると絶対的な信頼のようなものがある。

 

根拠はなんだろう

 

わからない。

私いつから神様信じてたっけ。神様だってなんだかわからない。ただのエネルギーかもしれない。

小さいおじさんかもしれない。

 

でも信頼ってそういうところある

根拠があるから信頼できるのではなくて信頼があるから根拠も信頼できる。

 

 

だからそもそも愛しか世界には存在しない

私もそう。私は愛が一定の法則で絶妙なバランスで結合されたものが維持されたもの。

なんでもかんでも。

 

今の世界はもしかして何かが変わってきているのかもしれない。暑過ぎたりとか寒過ぎたりとか。でも維持されている。全てのバランスが崩れたなりの、崩れたというのも比べばだ。今日生まれた赤ちゃんはそんなこと思わない。

 

崩れた状態でたもたれている。形が変わった。全体が変わった。

 

このやり方に乗っかるのは好きなんだけど、困るのは自分という感覚が消えてしまうというか、どうしていいかわからなくなること。だってみんな同じものだから、全体のバランスに意識を向けるとどうしていいかわからなくなる。

でもそんな風に考えながら日々生きていくのはなかなか難儀だ。

 

そこがまだ見つけられてないこの世界の過ごし方。

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勝手にやらせてもらってますというスタイル

今日新宿御苑に行った。

ふと桜の木を見ると蕾になるんだろうなという芯がある。暑さがおさまってきてはしゃぐ私をよそに木は黙々と自分の準備をしている。

時間がかかるものね。でも日々ちょっとずつ、わからないくらい進めてる。前の前の季節からもう始まってる。

いや。なんなら花が咲いて散ったら次の花の準備がもう始まってる。目的はシンプルだ。当たり前にこなす。日々を普通に生きている。やることやって。

わたしも何もできなくても毎日ちょっと何かすれば、自分の当たり前を生きれば、木たちみたいにいられるんじゃないかって元気付けられる。

 

こっちが勝手にそう思うだけだけど。

そういうところも好き。
ただ自分であることで周りが勝手に学ぶ。理想だなって思う。

 

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その日を楽しみに。

おわりがないというのは怖いことだという思いがある。

だけどそれはあまり所謂健全な考え方の感じがしない、というかそう思う人には心配かけてしまうかもしれない。だからあまり人に言うものではないとも思っていた。

 

けれどもやっぱり落ち着く。

終わりがあるのだと思うと安らぐ。

 

全てに終わりがあって終わりとはすべてハッピーエンドだ。

辛いストーリーなら終わってよかったね、で幸せなストーリーならめでたしめでたし、だし。

 

今がただ続いて行くだけと思ってしまうと絶望感でいっぱいになる。視点が定まらなくなる。

 

だからその日を楽しみに今を見て生きていく。生かされるままに生きていく。

今不幸なのかと言われそうだけど不幸から逃げたいわけじゃないし、不幸じゃない。無理矢理終わらせたいわけでもない。

 

不幸だったことなんてきっとなかったのだと思う。

 

不幸とかそうじゃないを取っ払った今を正面から見つめて終わりを楽しみに今をガン見していく。今とがっぷり四つ、ひたすら今と踊る。言い方は何でもいい。

 

 

 

宇宙ソーセージより

宇宙が生まれた時、何かしらの玉手箱みたいなのがひっくり返って、そこに入っていた「すべてのものが作れる万能素材」がぶちまけられて、星ができたり生き物ができたりしたんじゃないか。

 

だから宇宙ができた時と今では何も新しく加わっていないのじゃないか、そんなことをふと考えてついてみた。

 

さいしょっからもう全部揃ってた。それがあーでもないこーでもないとコネコネされてアメーバができて恐竜になってネアンデルタール人になって、同じ材料から岩ができてお水ができたり空気ができたり。

わたしも岩も同じ材料でできてる。

 

だから何にも変わってない。

いくらバタバタしても本当に新しいものを生み出すことはできない。お釈迦様の手のひらの上から出ることはできない。

 

そんな私の思いつきを頭のいい人がそうだよって言ってくれたらいいのにな。

 

 

 

パーツでいい

どんなわたしでも、どんなあなたでもいい。

こころのさらに奥にある生まれた瞬間から持ってるもの、そのままでいたらいいと思う。

 

それが世界の均衡を保つネットのように働く。わたし達はパーツだと思う。

 

この頃そういう世界に住んでいる。

 

だからもっとこれができるようにならなきゃとかそんなことはきっと関係ない。

 

ただし、その生まれた瞬間からすでに持っていたものでなければ。

 

素晴らしいパーツとして機能したい。

そう思うこの頃。

やったもん勝ち

ともかく与えちゃったもん勝ちだし愛しちゃったもん勝ちなのだ。

負けるが勝ち、負けたら勝ち。

 

 

それが一番気分がいいやり方だった。

 

感謝しちゃったもん勝ち

素直になっちゃったもん勝ち

ゆるしちゃったもん勝ち

楽しんじゃったもん勝ち。

 

…何に勝ったのかな。

自分かな。(ありきたりだ!)

自分との勝負には先手必勝なのだ。

 

勝ち負けという言葉で引っかかるなら

「楽になる」が近い言葉かもしれない。

「降参する」ていうのもよく聞く言葉だ。

 

こどもの頃、「友達になろうよ」って言ってくれた子は今でも凄かったなあと尊敬している。その子は勝ち負けで言えばもうチャンピオンだ。ともだち部門殿堂入り。

 

大縄跳びには自分から入らなきゃ遊べない。

トランポリンも最初は自分で飛ばなきゃだし。

 

刑事ドラマの取り調べでも「早く吐いて楽になっちまいな。」って言う。そんなところにも真理があったのだな。どこにでもヒントはある。

 

なんで早く楽にならなかったんだろう。修行してたんかな。

 

 

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箱があったらソッコー入らずにいられない猫もそんな感じかもね。

 

伝わるように書くのは難しいけど、でも大縄に飛び込むのはわたしだけのためじゃない、そう思う。そう思うから飛び込める。

 

頭の中を出してもいい頃

心の勉強をして、お薬をやめて、そのほかにも自分の頭の中が大改変するような1年だった。

信仰のようなことや荒唐無稽かもしれない考えが頭を占める。

しかしそういうこともそろそろお外に出す時期が来たような気がする。

多分変なんだろうな。

でもそんなの子供の頃からだったし。

必死にそう言われないようにやってきても全然無駄なことの連続だったし。

そしてそんな変かそうじゃないかなんていう物差しはユーレイ物差しだ。一般常識くらいのユーレイだ。

というわけで開き直ってやってこうと思う。

 

日本語もきっとやばくなる。

やばいとか書いてる時点でやばいもの。

 

と、宣言のようなことをしてみた。