話し下手

なかなか信じてもらえないけど話し下手だ。

本当は人見知りだし。

自分の人見知りは克服したつもり。克服というよりはぶっ飛ばした。そんな設定は無かったことにした。パンチで宇宙の戻ってこられないところまで飛ばした。遠くにお星様としてチラッと輝く日もあるけど見ないようにしている。

そんな風にぶっ飛ばしたお星様が何個もある。

でも話し下手は…難しい。心の勉強をしてるのに。

そこは考え出すと止まらない。

話したい人とほどうまくいかない。自分の大切な人、ちゃんと伝えたい人ほど気持ちを伝えられない傾向がある。元夫ともそうだった。彼は忙しくて大変だったし色々チャレンジしても気持ちが伝わらなかった。そうするとますますできなくなった。

 

何をしていいかわからず自分の話をするしかない。ただ自分のこと言いたいだけの人じゃん!違う!循環したいのに!そしてまた空回って自分でパンチして自分で宇宙まで飛んで行ってトボトボ戻ってくる。

 

いっそのことお星様になりたい。

 

「話し上手は聞き上手」

名言。話し上手の話は自分が話すんじゃなくて会話ってことなのかな。

話は何のためにするの?相手への理解を深めたいから。でもできてない。

 

なんか落ち込みモードだ。

ループに突入しかかってる。ちょっとお星様にでもなってくるかな。時々ヒャッホーと自分パンチで宇宙滞在もいいかも。しかしお星様じゃなくてこのままじゃスペースデブリだよ…

なんか急にお寿司食べたくなっちゃった。

 

そういうとこよね…

でもいいところでもあるよね。

 

 

 

長寿守り

ちょっと前の話だけど。

お正月に氏神様にご挨拶に行って交通安全のお守りと富士山に縁のある神社なので富士山のついたお守りを買った。

両親にもお守りを買った「長寿守」。年寄り扱いとか思われるかなあ…と思いつつ母が病気したのもあったし。

 

でもお守りを渡すことにはかなり抵抗があった。しかしうまく言えないけどそれをした方がいいと思うから。感謝してないとかなんかそういう括りの話ではないからうまく言えない。娘としてそれをした方がいいと思うから。多分。年老いた両親に。

 

先週実家に行った時に母に渡して父はいなかったのでテーブルに置いておいた。

母は例によってわかりにくかった。敬語だったし。笑

先日、母の病院に付き添いで行った時にバッグにお守りがついていた。すぐに気づいたのだけど言えなかった。

すごく奇妙な気持ちで見ていた。この後この気持ちが「嬉しい」に変化するかわからない気持ち。

そして病院から帰ると父も身につけていた。

初詣にも行かない人たちだ。

娘が買ったものを使ってないと申し訳ないからだろうか、とか色々考えた。

 

ありがたいなと思った。これはきっとありがたいことで、私がこの家の娘として生まれたことに関してある結果にたどり着くのに起きていた方が良いことだ。

今、私と実家の関係性は何かが変化している。よくわからない、言葉にもならないし。

実家だけじゃないか…家族ってものがよくわからない。

 

きっと喜んだと思いますよと言ってくれる人がいて。でも「それなら良かったです」みたいなことしか言えなかった。嫌いとか憎々しいとかそういうんじゃない、ただよくわからない。でも喜んだのか。変な感じ。

でも積み重ねた方がいいと思う。

 

自分の中には天岩戸に隠れたちびっ子の私がいて、その岩戸はもう少し大きくなった私自身だ。

 

天照大御神と違うのは問題は岩戸自身にあるのだということ。

今年は自分の中のチャイルド問題をやっていくつもりでいる。正直岩戸の私はなかなかの岩戸だと思う。

 

(記事前後したけど、この時すでにいわとちゃんのこと書いてたんだな)

 

 

やっぱり来たよ

セッションでセラピストに説明する習慣がついているせいか、自分の状況を喩えるイメージがすぐ浮かぶようになっている。

 

やっぱりちょっとマズい感じがする。

脳みそ電気ピシピシ状態。ショートしそうになっている。体も意識しないと動かしづらい。多分、軽躁でこのままウツに移行しちゃうぞーという状態。患者本人の素人判断。

 

水の勢いが強すぎて暴れてる水道ホースって感じかな。制御不能

 

次のセッション(カウンセリング)まで頑張ろうと思ったけど段々ヤバさが増して来たのでセラピストにヤバいことだけ報告させてもらった。

誰にも言えないのはほんとにまずいので。

 

呟かせてもらったのでまず少し楽になった。

 

もし辛いと言えば医者も多分サッと薬を増やす。友達もきっと無理しないでと言ってくれる。無理しないでもいいのだ、確かに。

でも今回ほんのちょっとだけ無理して頑張ってきた。

だから簡単に戻したくない。だからもうちょっと頑張る。

出かけた帰りの電車の中、心細くて悔しくてちょっと泣きそうになった。

 

セラピストから返事が来てもしもの時の緊急セッションという事を考えても大丈夫ですよと言ってくれた。

はい。ひとつ準備OK。自分でお布団しいた感じ。

 

次は私の中。

喩えが浮かぶ。私の中でたくさんの人たちがバタバタと走り回って準備をしている。面白い。布団を運ぶ人や何かの図を広げて話し合いをしている人、土嚢を積んだり、流されたら困るものを結んだり、濡れたら困るものを高いところにあげたり、みんな忙しく働いている。私の中の小さな働き者たち。それを見ていた本体の私は少し安心し始めている。

やれる事をピックアップして、取り組めそうならやる。やめた方がいいことも把握しておこう。

 

セッションを受けたり、色々な事を経験して、私にはできる対策がある。何もできなくて翻弄されていた昔とは違うはず。

 

イメージはとても大事なのでこれができるうちはまだきっと大丈夫。例えの部分は読み返すときっと安心できる。

 

それにここで悔しかったり負けたような気がしても私は病気と勝負をしているのではなくて、自分が幸せに生きていくためのことをしているのだというゴールというか私が大事にしたいのはそこなのだという事を時々思い出していくのがいいと思う。

 

おふとんのイメージ、何で出たんだろうと思ったけど子供の頃の記憶かな。

 

 

文、こんがらがってる?

明日は実家なのでそれはそれで頑張ろう。

 

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消火栓になってこのままここに並んで消えてしまいたいという謎の悲しみに襲われた東京駅KITTE横。笑

 

元々どうだっけ

最初から薬が1/3の量になり、3ヶ月もあれば薬は終わる。

でもやっぱりアクセルの踏み具合がうまくコントロール出来なくて自分以外への影響が怖くなって来ている。ってこれが減薬の影響かどうかは正確には分からない。

双極性障害はやっぱり鬱っぽさより躁の方が怖い、私は。

鬱は自分を壊すけど躁は周りとの関係を壊してしまう。おそらく2型なので躁が派手ではないのだけどそれだけにはたから見たら微妙だと思う。

 

私元々どうだったんだっけな。

その辺りも対策は立てないと。

 

 

 

あまのいわとちゃん

私の中には「あまのいわとちゃん」がいる。天の岩戸のようないわとちゃん。セラピーを始めて彼女の存在がわかった。

いわとちゃんはちびっ子のわたしを守ってる中学生くらいの私だ。ちびっ子が天照大御神みたいな感じ。

ちびっ子の私を家の不安定さやひとりの寂しさのようなもので傷つかないように守っている。愛されていない、ここは安全な場所ではないという事を感じさせないように。

随分前にセラピーで存在を現した。彼女は触れようとすると激しく抵抗する。怒りと警戒心で誰にも心を許さない。父というテーマを取り扱い始めて彼女はますます激しく攻撃的になった。

 

数日前、とても小さなアイデアのようなものが浮かんだ。ひらめき?とても小さな。

 

「誰よりも守ってもらいたかったのはいわとちゃんか。」

父の機嫌次第でいつどうなるかわからない緊張感や誰にも守ってもらえない孤独と不安の中、中高生なりの頭を使って自分を維持した。(面白いことにそのまま現在も中学生っぽいメンタルで維持されている。いわとちゃんに聞こえると怒られそうだけど)

 

傷つきやすいちびっ子の私を守るのだという役割で彼女は頑張れたのかもしれない。

そのことに気づいてもらいたかったのだと思う、まず私が自覚しなくてはダメだったのだ。私はもっと第三者に気づいてもらいたいのだと思っていた。

そのことに気づいた時、涙がポロポロ出た。ドラマチックに堰を切ったようになんか泣かないいわとちゃんだ。

そのことに気づいてからはその後も考えていた。自分でも驚いたから。

 

次には運転して実家に向かっている時、またポロポロと涙が出た。

この涙はいわとちゃんという昔の私のものなのか今の私のものなのか。分からなかった。今の私といわとちゃんが重なって溶けてゆくような、存在が薄くなった感じがした。

 

あれ?いなくなっちゃうの?

こんな簡単に?

 

とその時は思ったのだけど今また私の中に彼女の存在を感じる。また近づこうとすると威嚇しようとすることもあるけれど何か前とちがうんだよな。ほんと気難しい思春期ぽい。

いや。私がまだいなくなって欲しくないのかも。もう少しいわとちゃんと交流したいのかも。

彼女は努力によく頑張って来たね、みたいなに寄り添うのではなく、守ってもらいたかったのはあなただったよねという言葉があの子の何より欲しかった言葉だったのだと思う。

同情より理解を求めていたのかもしれない。

でも自分の中で溶け合う世界に一歩、いや何十歩も近づいたような気がした。

ちびっ子の私はきっと彼女のおかげで無傷に近い無垢さを保てているような気がする。それこそ天照大御神みたいに太陽みたいな子ならいいな。近いうちに会えるかな。

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こわさ

家族に関する話題は自分の為にも順を追ってあげていきたいのだけど出せるものからになるとそれも前後したりする。

母の脳梗塞から実家との距離が近くなりなんとなくその場にいるのは慣れて来ているけれど、やはり父と長く話すのは難しい。疲労感が強くなる。

新型云々の感染者数もすごい勢いで伸びて来てテレビは一日中関連ニュースを流す。もし何かあった時のためどうするか決めた方がいいと言っていたらしく父が決めようと言ってきた。私はひとりだしいざとなって入院も出来なかったらどうするのかということらしい。

実家に来て元々の家の使ってないところで寝ていたらいいと父が言ってきた。

まず実家まで行くの大変だよ…車で1時間以上かかるよ父ちゃん。それに姉と甥が嫌がる。父が使っていたらいいという部屋はボロボロで衛生状態も良くないしエアコンもないよ父ちゃん。気持ちはありがたい、が非現実的だよ。

「川の向こうに友達が住んでるからいざとなったら玄関先に物資を置いて行ってもらうよ、そして色々買い置きするよ、それでも何かあったらお願いします、何か考えてもおくね、ありがとう。」と伝えた。嘘ではない。すぐの川向こうじゃないけど。

そして、ぐったり。疲労感。

昨日は酒を飲んだ父といる時間が長かった。母との会話で変な方向に行きそうになるのを気をつけながらだったから余計疲れた。機嫌がいい時ですら母への言葉はひどい。私が長時間いたのも要因の一つなのではないかな。不機嫌との境目を綱渡りのように歩く。勝手に感情が行き過ぎ善意や好意が反転する。

 

家族の一員、みたいなことされるのはこわい。

その何が怖いのかはなかなか言語化できないけど。姉と甥と私含め5人で鰻を食べに行こうと言われた時も嘘をついて断った。以前はそういう時は夫に何かしらのヘルプを出せたかもしれない。まああまりいなかったからあくまで願望だけど。

 

私から間合いをとりながら近づくことはできるようになったけど向こうから来られるのはやっぱこわい。それはこれから先も変わるかどうかはわからない。

あくまで自分に決定権があって、自分が自分の主導権を握っておくことが大事。

 

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ポートレートモードで撮られるあんトースト。

 

 

小さい声で歌ってる

マスクの世の中を利用して小さい声で歌ってる。待ち合わせしてる時、歩いている時、歌ってるというほどの声でもないけれど小さい歌は小さな気分を作る。小さいご機嫌、小さい幸せ。

 

メメちゃんには時々バレる。