父は電車が嫌いで出かけるのは車移動だった。
私は車酔いが酷くて、出かける前は緊張してお腹をくだすし車に乗れば速攻で気持ち悪くなった。吐けずに目的地についてもずっと気持ち悪くて出かけるのはいつも憂鬱だった。
顔を風にあてていると楽だったので助手席になるべく座らせてもらって窓を開けて景色が流れていくのを見続けていた。
一定の風切り音と一定の速さで過ぎ去る景色。
夜は景色も見えなくなり、月だけがずっとついてくるのを見ていた。
風の音しか聞こえない中、どうしてついてくるのかなって静かに思ってた。'
あの時、月を見ている時、私はどこにいたのかな。
出発地でも目的地でもなにでもない瞬間が連続したところ。そこをパラパラ漫画の登場人物のようにただ移動していた。どこにも属さない場所。切り離されたような場所。ひとりだけの心地よい時間だった。
あの時の感覚があるからきっと今でもただ移動するのが好きなのだと思う。
結婚していた時、ただ目的なく首都高をドライブしてもらうのが好きだった。
今は自分で運転する。なにもない道をただ運転したい。パラパラ漫画の登場人物のように移動するためだけに簡単な道を運転したい。
そんな時を飽き飽きするほど過ごしたら今度は「なにでもなくないどこか」に行きたくなるかな。