やっぱり来たよ

セッションでセラピストに説明する習慣がついているせいか、自分の状況を喩えるイメージがすぐ浮かぶようになっている。

 

やっぱりちょっとマズい感じがする。

脳みそ電気ピシピシ状態。ショートしそうになっている。体も意識しないと動かしづらい。多分、軽躁でこのままウツに移行しちゃうぞーという状態。患者本人の素人判断。

 

水の勢いが強すぎて暴れてる水道ホースって感じかな。制御不能

 

次のセッション(カウンセリング)まで頑張ろうと思ったけど段々ヤバさが増して来たのでセラピストにヤバいことだけ報告させてもらった。

誰にも言えないのはほんとにまずいので。

 

呟かせてもらったのでまず少し楽になった。

 

もし辛いと言えば医者も多分サッと薬を増やす。友達もきっと無理しないでと言ってくれる。無理しないでもいいのだ、確かに。

でも今回ほんのちょっとだけ無理して頑張ってきた。

だから簡単に戻したくない。だからもうちょっと頑張る。

出かけた帰りの電車の中、心細くて悔しくてちょっと泣きそうになった。

 

セラピストから返事が来てもしもの時の緊急セッションという事を考えても大丈夫ですよと言ってくれた。

はい。ひとつ準備OK。自分でお布団しいた感じ。

 

次は私の中。

喩えが浮かぶ。私の中でたくさんの人たちがバタバタと走り回って準備をしている。面白い。布団を運ぶ人や何かの図を広げて話し合いをしている人、土嚢を積んだり、流されたら困るものを結んだり、濡れたら困るものを高いところにあげたり、みんな忙しく働いている。私の中の小さな働き者たち。それを見ていた本体の私は少し安心し始めている。

やれる事をピックアップして、取り組めそうならやる。やめた方がいいことも把握しておこう。

 

セッションを受けたり、色々な事を経験して、私にはできる対策がある。何もできなくて翻弄されていた昔とは違うはず。

 

イメージはとても大事なのでこれができるうちはまだきっと大丈夫。例えの部分は読み返すときっと安心できる。

 

それにここで悔しかったり負けたような気がしても私は病気と勝負をしているのではなくて、自分が幸せに生きていくためのことをしているのだというゴールというか私が大事にしたいのはそこなのだという事を時々思い出していくのがいいと思う。

 

おふとんのイメージ、何で出たんだろうと思ったけど子供の頃の記憶かな。

 

 

文、こんがらがってる?

明日は実家なのでそれはそれで頑張ろう。

 

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消火栓になってこのままここに並んで消えてしまいたいという謎の悲しみに襲われた東京駅KITTE横。笑

 

元々どうだっけ

最初から薬が1/3の量になり、3ヶ月もあれば薬は終わる。

でもやっぱりアクセルの踏み具合がうまくコントロール出来なくて自分以外への影響が怖くなって来ている。ってこれが減薬の影響かどうかは正確には分からない。

双極性障害はやっぱり鬱っぽさより躁の方が怖い、私は。

鬱は自分を壊すけど躁は周りとの関係を壊してしまう。おそらく2型なので躁が派手ではないのだけどそれだけにはたから見たら微妙だと思う。

 

私元々どうだったんだっけな。

その辺りも対策は立てないと。

 

 

 

あまのいわとちゃん

私の中には「あまのいわとちゃん」がいる。天の岩戸のようないわとちゃん。セラピーを始めて彼女の存在がわかった。

いわとちゃんはちびっ子のわたしを守ってる中学生くらいの私だ。ちびっ子が天照大御神みたいな感じ。

ちびっ子の私を家の不安定さやひとりの寂しさのようなもので傷つかないように守っている。愛されていない、ここは安全な場所ではないという事を感じさせないように。

随分前にセラピーで存在を現した。彼女は触れようとすると激しく抵抗する。怒りと警戒心で誰にも心を許さない。父というテーマを取り扱い始めて彼女はますます激しく攻撃的になった。

 

数日前、とても小さなアイデアのようなものが浮かんだ。ひらめき?とても小さな。

 

「誰よりも守ってもらいたかったのはいわとちゃんか。」

父の機嫌次第でいつどうなるかわからない緊張感や誰にも守ってもらえない孤独と不安の中、中高生なりの頭を使って自分を維持した。(面白いことにそのまま現在も中学生っぽいメンタルで維持されている。いわとちゃんに聞こえると怒られそうだけど)

 

傷つきやすいちびっ子の私を守るのだという役割で彼女は頑張れたのかもしれない。

そのことに気づいてもらいたかったのだと思う、まず私が自覚しなくてはダメだったのだ。私はもっと第三者に気づいてもらいたいのだと思っていた。

そのことに気づいた時、涙がポロポロ出た。ドラマチックに堰を切ったようになんか泣かないいわとちゃんだ。

そのことに気づいてからはその後も考えていた。自分でも驚いたから。

 

次には運転して実家に向かっている時、またポロポロと涙が出た。

この涙はいわとちゃんという昔の私のものなのか今の私のものなのか。分からなかった。今の私といわとちゃんが重なって溶けてゆくような、存在が薄くなった感じがした。

 

あれ?いなくなっちゃうの?

こんな簡単に?

 

とその時は思ったのだけど今また私の中に彼女の存在を感じる。また近づこうとすると威嚇しようとすることもあるけれど何か前とちがうんだよな。ほんと気難しい思春期ぽい。

いや。私がまだいなくなって欲しくないのかも。もう少しいわとちゃんと交流したいのかも。

彼女は努力によく頑張って来たね、みたいなに寄り添うのではなく、守ってもらいたかったのはあなただったよねという言葉があの子の何より欲しかった言葉だったのだと思う。

同情より理解を求めていたのかもしれない。

でも自分の中で溶け合う世界に一歩、いや何十歩も近づいたような気がした。

ちびっ子の私はきっと彼女のおかげで無傷に近い無垢さを保てているような気がする。それこそ天照大御神みたいに太陽みたいな子ならいいな。近いうちに会えるかな。

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こわさ

家族に関する話題は自分の為にも順を追ってあげていきたいのだけど出せるものからになるとそれも前後したりする。

母の脳梗塞から実家との距離が近くなりなんとなくその場にいるのは慣れて来ているけれど、やはり父と長く話すのは難しい。疲労感が強くなる。

新型云々の感染者数もすごい勢いで伸びて来てテレビは一日中関連ニュースを流す。もし何かあった時のためどうするか決めた方がいいと言っていたらしく父が決めようと言ってきた。私はひとりだしいざとなって入院も出来なかったらどうするのかということらしい。

実家に来て元々の家の使ってないところで寝ていたらいいと父が言ってきた。

まず実家まで行くの大変だよ…車で1時間以上かかるよ父ちゃん。それに姉と甥が嫌がる。父が使っていたらいいという部屋はボロボロで衛生状態も良くないしエアコンもないよ父ちゃん。気持ちはありがたい、が非現実的だよ。

「川の向こうに友達が住んでるからいざとなったら玄関先に物資を置いて行ってもらうよ、そして色々買い置きするよ、それでも何かあったらお願いします、何か考えてもおくね、ありがとう。」と伝えた。嘘ではない。すぐの川向こうじゃないけど。

そして、ぐったり。疲労感。

昨日は酒を飲んだ父といる時間が長かった。母との会話で変な方向に行きそうになるのを気をつけながらだったから余計疲れた。機嫌がいい時ですら母への言葉はひどい。私が長時間いたのも要因の一つなのではないかな。不機嫌との境目を綱渡りのように歩く。勝手に感情が行き過ぎ善意や好意が反転する。

 

家族の一員、みたいなことされるのはこわい。

その何が怖いのかはなかなか言語化できないけど。姉と甥と私含め5人で鰻を食べに行こうと言われた時も嘘をついて断った。以前はそういう時は夫に何かしらのヘルプを出せたかもしれない。まああまりいなかったからあくまで願望だけど。

 

私から間合いをとりながら近づくことはできるようになったけど向こうから来られるのはやっぱこわい。それはこれから先も変わるかどうかはわからない。

あくまで自分に決定権があって、自分が自分の主導権を握っておくことが大事。

 

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ポートレートモードで撮られるあんトースト。

 

 

小さい声で歌ってる

マスクの世の中を利用して小さい声で歌ってる。待ち合わせしてる時、歩いている時、歌ってるというほどの声でもないけれど小さい歌は小さな気分を作る。小さいご機嫌、小さい幸せ。

 

メメちゃんには時々バレる。

男の子女の子

私の中の男の子女の子。

子どもの頃からいわゆる男の子っぽさの方が強い。

 

ままごとやかわいいもの、お人形遊びというような、将来お母さんになるようなことの練習につながりそうなことは全然しなかった。サンリオもピンクもリボンもひらひらしたものも興味が無かった。

女の子のグループも苦手だった。理解不能だったし。

 

大人になってからもモータースポーツとかプロレスとか大きい車とか電車とか工場とか機械とか工具とか…そういう方がワクワクした。今でもするけど。

私は男の子になりたなったんだろうか。それとも男の子成分多めの魂で生まれてきたんだろうか。

 

何にでも理由をつけたら苦しくなってしまうけれど、うちは自営業ですごく小さい頃は私は父のあとを継ぐと思っていた。幼稚園の頃、ブロックで家を作ったりして父に褒められた。

そして4歳の時に弟が生まれる。父の会社を継ぐ長男。

私はそこで挫折したのかな。憶えていない。

 

そして弟が早くいっちゃって、私は長女だか長男みたいなもう一段変なねじれ方をした。次女だけど。

 

ともかく先天的か後天的かわからないけど男の子要素が楽だった。女の子めんどくさかった。

 

好きな人ができて結婚してから女の子では無くなった。家族になり空気みたいになった。もしかしてちょっと女の子になれるかなと思っていたけど。そしてお母さんにはならず、病気になって薬を飲んで太ってそのままおばさんになった。ここはおじさんではなかった…笑

 

自分の容姿がつらくてますます女の子どころじゃないヽ(´o`;

つらくて、でもそれがどこか「こんな自分だから〜なのも仕方ないのだ」という自己否定を強めるもっともな言い訳になっていた。

 

今私は女の子要素が増えている(便宜上女の子で通します)と、思う。意図的に増やしている。かわいいものとか、メイクとかを自分に許可した。友人のおかげでおしゃれしてお化粧したりして出かけることが楽しくなった。その子はおしゃれさんなので一緒にいて恥ずかしい思いをさせたくないし。まあそこはちょっと…良くないかな

でもそんなことからでもいいんじゃないかな

 

心も変わったと思う。外堀を埋めるのは大切だ。

何かと女性性を育てるのが私の課題と言われ続けて「女性性ってそもそもなによ」と思っていたが、なんとなく分かるようになってきた。

もちろんピンクとかハートとかが全てじゃない(^^;;

 

女性は歳を重ねてきて、ある日可愛いものに目覚めて解禁している人が割といる。

その人がずっと女性性を封印してきたかはわからないけど、家族に女性として扱われなくなって取り戻そうとしてるとかあるかもなあと思ったりもした。

 

「女の子おばさん」「女の子おばあちゃん」を楽しませてあげようと思った最近です。

 

 

水中メガネ Chappie  (松本隆 草野マサムネ)

https://youtu.be/hQ2j_lvD8vo

さすが松本隆という歌詞。結婚当時苦しかった時すごく聞いてた。後から作曲草野マサムネと知ってまんまとやられた!と思った記憶がある。曲調を聴いたらモロに草野節なのに気づかなかった。

 

くるり

https://youtu.be/V6FAbl1-Iyw

 

今うちには女子しかいない。猫は女子丸出し。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとあって、自分の病気を振り返ることになった。

友人とこの先の人間関係で精神疾患があることがネックになることはあると思うか、という話になった。友人はちゃんと頷いてくれた。友人自体はもちろん何も考えずに付き合ってくれている。私の周りはありがたいことにそんな人ばかりだ。

 

いくら自分で頑張ってみていてもこの先調子を崩すことがないとは言い切れない。はたからみれば精神病患者。猫から見たらただのヒト。

(精神科の医師は「脳病」という人もいた。言葉としてどちらが良いのかな。)

 

精神疾患と言ってもピンキリだし、自分がそのどの辺りに位置しているのかはわからないけど。わからないけどそのどこかに私はいる。その誰かから見たら私はその「世界」の住人。

 

私は周りの人達にとても恵まれている。恵まれているとふとそういう現実というかそういう目もあることを忘れちゃうんだろうな。

その人が変なこと言ってきても「(人の恋路を邪魔する奴は)馬に蹴られて死んじまえ」でいい。(そういう言い方あったと思うんだけど…)

誰かに何かを言われても、または何も言わずにそう思っていてもいても私はその人にできることはない。その人と私はイコールの世界で繋がっていないから。別の式で生きてる。

 

ちょっと怒りが持続しちゃった。その怒りについて流れをメモしようかと思ったけどまたにしよ。

ハッピーアワーのビールがきいてるな…。

最近お酒飲んで帰ってくるとお腹いっぱいなのに食欲が暴走するのよね…

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