卒業するのかな

勘違いしてたけど、病院は次回で薬を出してもらうのが最後になるらしい。医者が言ってた。

 

減るたび大きい波が来るので今回はどんな波が来るのか怖いけど、薬をやめたいと思ったのは自分なんだから頑張らなくちゃ。

 

次もきっと慣れる! ٩( 'ω' )و

帰って猫にベタベタしよっと。

待つ時間

いるところややる事があれば待つのはあまり苦にならない方だ。

お買い物したり散歩したり本を読んだり編み物をしたり。カフェがたくさんあるような世の中になってからは余計かな。

前夫との生活は一言「待つ」生活だったと思う。そんなことなかったのかな、でも心にはそれが強く残っている。待ち続けた20年。気持ちの面でも。待っていたからって叶わなかったこともたくさんあった。

だからか待ち合わせ場所で相手を見つけた時、先に相手が来ているとちょっと申し訳ない気持ちになるけど、ぱあっと気持ちが明るくなる。それは待ってる時来てもだけど。

見つけた時の安心感。

 

待ってる人が来る、待っててくれる人がいる、それはとても幸せなこと。

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梅が咲いてた。

 

わたしのおうち

私が一番欲しいもの。それは「家」だったのだと思う。最近分かった。でも家ってなんだろう、ってとこだけど。

 

帰る所、行ってきますするところ、いただきます、ごちそうさま、おはよう、おやすみを言うところ。基本の場所。安心する場所。

 

家がわからないから家を求めても迷走する。

「自分が自分の家になればいいじゃないか」なんて言うのもいいけれど、なんだかそういうところへたどり着くのは別バージョンでもいいんじゃないかと思う。2バージョンあったらいいよね。せっかく自分以外の人がいるんだし。

自分以外の人間と関わった時、その間に生まれる何か。不思議とか感謝とか。ここにいていいんだという安心感とか。屋根や壁がなくても。

一人の人でも仲間でも。

 

結婚して、夫と家が作りたかった。夢は人一倍大きかったのではないかと思う。お互いの家になりたかった。しかしうまくいかなかった。なんでかなーと思う。

何かを育てることができなかったのだ、多分。それは一緒に育てなきゃならないものだったと思う。そんなに難しい話じゃなかったんだと思うんだけど、それが相性というものだったのかもしれない。夫が好きだったから20年頑張った。原因があったから離婚したんだけれど、どちらかが悪かったから離婚した、のでは多分ないんだな。「良い・悪い」という言葉ではないのだ。でもどの言葉なのかはまだわからない。でも家は出来なかった。実の家に20年いて、次の家も20年いた。家が2個。でも家と思えなかった。

今月で離婚して1年が経つ。

 

だいぶ理想も語ったかもしれないけれど、わたしのおうちは私の中にある。本当はね。私の私が住むところ。

その私が私に帰っている間、いても安全なところ。それが「家」かもしれない。

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魂が飛び出す

双極性障害の薬を減らして最初の量の3分の1になった。無理がなければ5週ごとに減らす。順調にいけば2ヶ月半くらいで何十年かぶりに薬を飲まない日が来る。5月の誕生日は薬なしで迎えられるのかな。

前にも書いたけど減薬の影響は続いている。いや。実はもう影響じゃなくて本来の自分になってるだけなのかもしれない。

最近は夢をみているっぽい。しかし大概猫に起こされたりと自然な目覚めではないので内容は覚えていない。

 

困っていることといえば、魂が身体から飛び出しそうな感じになってギュッとなることだ。これは調子悪い。

躁な感じとウツな感じが混ざって爆発的なエネルギーが体の中に生まれる感じ。それが体から飛び出しそうになる。友達に言ったら「出しちゃえばいいじゃない」と言ってたけど出したら多分死んじゃうと思う。自分を開放みたいな意味で捉えたのかもしれないな。そうじゃない。

そうじゃなくて飛びたくなっちゃうのだ。何かの淵に立って。でも生きて開放されなきゃダメなのもわかっている。そうしたいともおもっている。

だから多分飛ばない。その辺りは長いからコントロールできると思う。

まだ生きていたい理由もある。色々なことが解決もしてきている。後の寿命でどれくらい解決するのか知りたい。そう考えると、好奇心って生きていく上でとても大切だな。私は昔から好奇心の塊みたいなところがあったからそれに助けられてるのかもしれない。あとは人より少し冷静に物事を見られること。

 

希死念慮の話を口にすると、きっとみんなとてもびっくりしてしまう。私だって友達が口にしたらドキッとする。その人の死生観もわからないし、どういう精神状態で言ってるのかわからない。

私が死んでしまったらトラウマ級に心配させて、全力で関わってくれた友達を裏切ることになる。色々な人の愛情に応えるために生きていたいと思う。だから自分のために生きるより、誰かのために生きる方が自分の命を支える力は強いかもしれない。対象が在る世界にいないと生きていくことはできないと思う。自分を認識することもできない。それは自分軸じゃないとか言われそうだけど。それとはなんか違う。

自分を不自然に変えるのではなく、自分のままならいいんじゃないかな。それだけ大事な人たちが自分の人生にいるっていいことじゃないかな。

 

それに生きていないと感じられない。きっとオバケになったら感じない。知らなかった喜びや楽しいこと。

だから魂が飛び出しそうな躁とウツの合体した強いエネルギーに晒されても大丈夫だと思う。苦しいけれど元々苦しかったような気がするし。

そしてずっと今と同じってことはない。

 

 

それにしても躁と鬱が合体したらどうなるのかな。今は強いエネルギーな気がするけど、案外スンと静かになっちゃったりして。

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オープンマインドはいいこと?

あまり隠すこともないと思っているし、開けっぴろげな方だと思う。そしてそれがいいと思っているからやってきた。あれこれ考えているとそちらに気を取られていい自分をキープする方に気持ちを注げない。

 

ほんとかな。ほんとにオープンマインドはいいことかな。

突然やってくる「ほんとかなタイム」。

 

繊細な人を傷つけていないかな。オープンにできない人を。ジャイアニズムジャイアンの悲哀。

 

そして私は本当にオープンなのか。オープンにしてるという顔をして見せられるところしか見せてないのではないかな。見せかけのオープンマインド。自分でもわからないレベルの。

そんなに複雑な人間じゃないかもしれないけど。(^_^;)

 

昔、素直とバカ素直は違うんだよと言われたことがある。時々こういうパンチをくらう。バカ素直な私がその人に何かしら不快な思いをさせたのかもしれない。

 

バカオープンマインドなのか…バカ素直の「バカ」エネルギーは反発が来る時は同じ熱量のパンチをくらう。

 

おっと。へこんできた。

オープンマインドも自分のセッティングというか良い前提、良いベースがあると良いものになるかもしれない。

私のオープンマインドも一度点検するといいのかも。

 

ブログしばらく更新しないでいきなりドカドカ出すのやめたい。コンスタントにできる人になりたい。

 

宇宙にぶっ飛ばせることは元々素養があることしかできないのだな。(「話し下手」参照のこと)

話し下手

なかなか信じてもらえないけど話し下手だ。

本当は人見知りだし。

自分の人見知りは克服したつもり。克服というよりはぶっ飛ばした。そんな設定は無かったことにした。パンチで宇宙の戻ってこられないところまで飛ばした。遠くにお星様としてチラッと輝く日もあるけど見ないようにしている。

そんな風にぶっ飛ばしたお星様が何個もある。

でも話し下手は…難しい。心の勉強をしてるのに。

そこは考え出すと止まらない。

話したい人とほどうまくいかない。自分の大切な人、ちゃんと伝えたい人ほど気持ちを伝えられない傾向がある。元夫ともそうだった。彼は忙しくて大変だったし色々チャレンジしても気持ちが伝わらなかった。そうするとますますできなくなった。

 

何をしていいかわからず自分の話をするしかない。ただ自分のこと言いたいだけの人じゃん!違う!循環したいのに!そしてまた空回って自分でパンチして自分で宇宙まで飛んで行ってトボトボ戻ってくる。

 

いっそのことお星様になりたい。

 

「話し上手は聞き上手」

名言。話し上手の話は自分が話すんじゃなくて会話ってことなのかな。

話は何のためにするの?相手への理解を深めたいから。でもできてない。

 

なんか落ち込みモードだ。

ループに突入しかかってる。ちょっとお星様にでもなってくるかな。時々ヒャッホーと自分パンチで宇宙滞在もいいかも。しかしお星様じゃなくてこのままじゃスペースデブリだよ…

なんか急にお寿司食べたくなっちゃった。

 

そういうとこよね…

でもいいところでもあるよね。

 

 

 

長寿守り

ちょっと前の話だけど。

お正月に氏神様にご挨拶に行って交通安全のお守りと富士山に縁のある神社なので富士山のついたお守りを買った。

両親にもお守りを買った「長寿守」。年寄り扱いとか思われるかなあ…と思いつつ母が病気したのもあったし。

 

でもお守りを渡すことにはかなり抵抗があった。しかしうまく言えないけどそれをした方がいいと思うから。感謝してないとかなんかそういう括りの話ではないからうまく言えない。娘としてそれをした方がいいと思うから。多分。年老いた両親に。

 

先週実家に行った時に母に渡して父はいなかったのでテーブルに置いておいた。

母は例によってわかりにくかった。敬語だったし。笑

先日、母の病院に付き添いで行った時にバッグにお守りがついていた。すぐに気づいたのだけど言えなかった。

すごく奇妙な気持ちで見ていた。この後この気持ちが「嬉しい」に変化するかわからない気持ち。

そして病院から帰ると父も身につけていた。

初詣にも行かない人たちだ。

娘が買ったものを使ってないと申し訳ないからだろうか、とか色々考えた。

 

ありがたいなと思った。これはきっとありがたいことで、私がこの家の娘として生まれたことに関してある結果にたどり着くのに起きていた方が良いことだ。

今、私と実家の関係性は何かが変化している。よくわからない、言葉にもならないし。

実家だけじゃないか…家族ってものがよくわからない。

 

きっと喜んだと思いますよと言ってくれる人がいて。でも「それなら良かったです」みたいなことしか言えなかった。嫌いとか憎々しいとかそういうんじゃない、ただよくわからない。でも喜んだのか。変な感じ。

でも積み重ねた方がいいと思う。

 

自分の中には天岩戸に隠れたちびっ子の私がいて、その岩戸はもう少し大きくなった私自身だ。

 

天照大御神と違うのは問題は岩戸自身にあるのだということ。

今年は自分の中のチャイルド問題をやっていくつもりでいる。正直岩戸の私はなかなかの岩戸だと思う。

 

(記事前後したけど、この時すでにいわとちゃんのこと書いてたんだな)