魂が飛び出す

双極性障害の薬を減らして最初の量の3分の1になった。無理がなければ5週ごとに減らす。順調にいけば2ヶ月半くらいで何十年かぶりに薬を飲まない日が来る。5月の誕生日は薬なしで迎えられるのかな。

前にも書いたけど減薬の影響は続いている。いや。実はもう影響じゃなくて本来の自分になってるだけなのかもしれない。

最近は夢をみているっぽい。しかし大概猫に起こされたりと自然な目覚めではないので内容は覚えていない。

 

困っていることといえば、魂が身体から飛び出しそうな感じになってギュッとなることだ。これは調子悪い。

躁な感じとウツな感じが混ざって爆発的なエネルギーが体の中に生まれる感じ。それが体から飛び出しそうになる。友達に言ったら「出しちゃえばいいじゃない」と言ってたけど出したら多分死んじゃうと思う。自分を開放みたいな意味で捉えたのかもしれないな。そうじゃない。

そうじゃなくて飛びたくなっちゃうのだ。何かの淵に立って。でも生きて開放されなきゃダメなのもわかっている。そうしたいともおもっている。

だから多分飛ばない。その辺りは長いからコントロールできると思う。

まだ生きていたい理由もある。色々なことが解決もしてきている。後の寿命でどれくらい解決するのか知りたい。そう考えると、好奇心って生きていく上でとても大切だな。私は昔から好奇心の塊みたいなところがあったからそれに助けられてるのかもしれない。あとは人より少し冷静に物事を見られること。

 

希死念慮の話を口にすると、きっとみんなとてもびっくりしてしまう。私だって友達が口にしたらドキッとする。その人の死生観もわからないし、どういう精神状態で言ってるのかわからない。

私が死んでしまったらトラウマ級に心配させて、全力で関わってくれた友達を裏切ることになる。色々な人の愛情に応えるために生きていたいと思う。だから自分のために生きるより、誰かのために生きる方が自分の命を支える力は強いかもしれない。対象が在る世界にいないと生きていくことはできないと思う。自分を認識することもできない。それは自分軸じゃないとか言われそうだけど。それとはなんか違う。

自分を不自然に変えるのではなく、自分のままならいいんじゃないかな。それだけ大事な人たちが自分の人生にいるっていいことじゃないかな。

 

それに生きていないと感じられない。きっとオバケになったら感じない。知らなかった喜びや楽しいこと。

だから魂が飛び出しそうな躁とウツの合体した強いエネルギーに晒されても大丈夫だと思う。苦しいけれど元々苦しかったような気がするし。

そしてずっと今と同じってことはない。

 

 

それにしても躁と鬱が合体したらどうなるのかな。今は強いエネルギーな気がするけど、案外スンと静かになっちゃったりして。

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