植物の息づかい

友人の営んでいるお花屋さんでスワッグを買ってきました。スワッグとは、ドイツ語で「壁飾り」。花や葉、実などの植物を束ねて壁にかける飾りのこと。

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飾ってる場所に色気がないけど。(^_^;)

クリスマスに向けて、みようかなと。

 

色々季節を意識するようになって、ハロウィンとクリスマスはハードルが高かったのだけど、クリスマスも頑張ってみようと思ったのでした。

 

買って1週間経ったのでだいぶ匂いがしなくなってきたのだけど数日はすごくて、時々強くて深い呼吸をしてるように部屋に香りが広がった。

 

今は近くを通ると小さく静かに呼吸をしている感じだ。

少し甘い香り。

 

今を感じること

何かに集中する時間は自分に集中する時間、自分のしていることに集中してる。

今を愛する行為。

 

編み物も、早く終わりたい、早く着たいという気持ちより今編み進めている少しずつ進んでいく今に集中する。

なるべくね。早く着たいし楽しみなのはもちろんだから。ほんの少しでいいからはやる気持ちより今を多めにしてみたら、きっと穏やか。

 

その時間の結果。出来上がって大事に編めたな、と思えば自分を肯定することへと繋がる。

 

積み重ねって自信になるっていう実感。

実感、だいじ。

 

今を大事にするのは自愛と自己肯定を育む時間。

 

お料理もお掃除も、なんでも。今を生きるのは自愛と自分自体を積み重ね肯定していける時間。

そしてそうして行くことが全ての平和への最初の一歩で。最後の一歩と言えるかも知れない。

 

宮台真司さんがお怪我されたことが私は結構ショックなのだと思う。

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風呂上がりみたいな

久しぶりに泣いた。

にっちもさっちも行かなくなって少し経つ。

 

急に泣いたので自分でも驚いた。

でも、あー、出た出た、と思って止めないようにした。

 

泣いた後というのは、泣き方にもよるのだろうけどなんだか風呂上がりみたいにぼんやりした。

私の場合泣くのは自分で自分のゆりかごになるような感じかもしれない。

 

 

多くの居た者

有史以来、どころか地球ができた時から生まれたものたちがいなくなり、形もなくなり。

それが塵よりも小さくなって紛れ込む。

水の隙間とか木の隙間とか。波しぶきになったり。呼吸と共に吸い込んで体内にに入ったり。

食べ物になって私の体になったり。

 

多くの「居た者」たちは今も形を変えてここに居る。「居る」から「在る」になるのかな。

居るっていうとより凝縮されてひとつの塊のようだけど「在る」は遍在している感じ。

 

おおーきな意味で地球全体の物質?ていうのかな、それはあんまり変わってないじゃ?と思ったりする。

 

私が泣いた涙は名前として涙だし成分としては色々あるんだろうけどもっと細かく見ていくとかつて居た者だったりするのかなと。

 

以前、弟や先代猫の事を考えていた時なんとなくそう思った。涙の中に、海の中に、大気の中に、共に在るんじゃないかなって。

そうやってずーーーーっと同じものを使い回し(言い方!)してるのが地球かもって。

今のわたしはかつて私だったものでできてたり…

 

こんがらがる!

はい。まあそんな感じで。

今日のところは。

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双子の星

星に願いを、星を見てお願いする人はいまどきいるかしら。今日は星じゃなくて月の日でしたね、月蝕でした。

 

何かを願うと、相反する2つの星が生まれるような。ふとそんなことを思った。

ふとシリーズ。

 

ふと思ったことを忘れないようにしたい。

それはなんだか打出の小槌みたい。

商店街のくじ引きみたい。

あとはポケットに入ってた小銭みたいでもあるか。

 

まあそこはいいの。ふと思うことは私を楽しくしてくれる。

 

一つの願いに双子の星が生まれる。

ひとつは願いが叶う星。もうひとつは叶わない星。ひとつの願いは叶うと叶わないの2つの要素を持つ。

相反しているようで2つは1つ。陰陽、ネガポジ…

願いはとても叶えたい気持ちと叶ってしまうのが怖い気持ちがあったり。

 

ふと、なので今日はここまで。

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それぞれの。

死との付き合い方はそれぞれ。

母は、目にしない、考えないというかそういうやり方で向き合うのかもしれない。

水飲みも何も全て片付けてしまった。

今日の今日で。いなかったみたいに。

きっとそうしないといられないのだろう。

 

悲しいことは見ない、蓋をする。それが彼女の乗り越え方。内に閉じ込める人だから。

気持ちはわかる。私も似たところがあるから。

父は色々話す。

それもやっぱりわかる。私も似たところがあるから。

 

弟が死んだ時、母は10年以上ほぼ何も話さず、父はよく泣いた。

私も10年ワケが分からず、その後、率先して弟の話をした。誰もしようとしないのをぐりぐり話した。

それが自分のこの家での役割なのだと思った。

それも今考えるとちょっと違うなと思う。惜しいけど、ちょっとそのやり方はイマイチだ。

 

 

私は老犬がただ生きてるのを見るのが好きだった。ゼイゼイしながら今を生きてる老犬がただ愛らしくて尊敬してた。なんて生きることに誠実なんだろうと。

だから私も彼の死を誠実に悼みたい。

彼に尊敬と労いとハッピーを送りたい。

ハッピー…うまく言えないな、感謝とか愛とか…ともかく惜しみなく。

彼が意図せず見せてくれたもの、感じさせてくれたもの。

 

初めて私の家に来た猫との別れに私は全く向き合えなかった。思い出す事も避けた。

うちの猫たちもこれから順番にいくだろう。

彼女らがその時を当たり前に誠実に生きるように私も誠実に付き合えるように強くいないと。

いや。強くならなくても、誠実でいればいい。

今をずーっと続けていくこと。

 

今日のキーワード、誠実、だな。

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巨星墜つ

仕事しに実家行ったら、実家のポメが今朝死んじゃったって。15歳。

 

お水の入れ物とか毛布とか全部サクッと片付けてあった。いなかったみたいに。

もう火葬もして骨は後々困るからってそのまま葬儀屋さんへ引き取ってもらったって。

すごいな。

 

私と父と母でお昼は蕎麦を食べに行った。

最後の2日はちょっと牛乳飲んだくらいでほぼ飲まず食わず。

でも立ってくるくる回ってたらしい。

もう目も耳も全然だったんだと思う。

そして昨日は母が抱いて庭ウロウロしたりしたらしい。みんなでわかってたんだね。

私のこと待っててくれなかったのかよーと思ったけど、まあ私とは金曜日にお別れ済ませたんだろうな。

最後の2年、座敷犬満喫したね。

 

おつかれさま。

ほんとにありがとね。

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