それぞれの。

死との付き合い方はそれぞれ。

母は、目にしない、考えないというかそういうやり方で向き合うのかもしれない。

水飲みも何も全て片付けてしまった。

今日の今日で。いなかったみたいに。

きっとそうしないといられないのだろう。

 

悲しいことは見ない、蓋をする。それが彼女の乗り越え方。内に閉じ込める人だから。

気持ちはわかる。私も似たところがあるから。

父は色々話す。

それもやっぱりわかる。私も似たところがあるから。

 

弟が死んだ時、母は10年以上ほぼ何も話さず、父はよく泣いた。

私も10年ワケが分からず、その後、率先して弟の話をした。誰もしようとしないのをぐりぐり話した。

それが自分のこの家での役割なのだと思った。

それも今考えるとちょっと違うなと思う。惜しいけど、ちょっとそのやり方はイマイチだ。

 

 

私は老犬がただ生きてるのを見るのが好きだった。ゼイゼイしながら今を生きてる老犬がただ愛らしくて尊敬してた。なんて生きることに誠実なんだろうと。

だから私も彼の死を誠実に悼みたい。

彼に尊敬と労いとハッピーを送りたい。

ハッピー…うまく言えないな、感謝とか愛とか…ともかく惜しみなく。

彼が意図せず見せてくれたもの、感じさせてくれたもの。

 

初めて私の家に来た猫との別れに私は全く向き合えなかった。思い出す事も避けた。

うちの猫たちもこれから順番にいくだろう。

彼女らがその時を当たり前に誠実に生きるように私も誠実に付き合えるように強くいないと。

いや。強くならなくても、誠実でいればいい。

今をずーっと続けていくこと。

 

今日のキーワード、誠実、だな。

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