「片付けられない女」という言葉をよく見かけた時期があった。最近はあまりないな。「女」ってところがダメだったのかな。わたしだなーと思ってた。その頃。
小学校からずっと「整理整頓が苦手」という通知表のチェック欄はいつもついてた。
多分仕分けが苦手なのと一度に情報処理できる量が少ない。だんだんわかってきた。
そしてそれをやるのは当たり前、ということがあまりに染み付いていない。部屋はいつも母が父に怒られて私が出かけてる間に片付けていた。もしかして一緒に片付けられていたら今少し変わったかもしれない。仕事が忙しすぎてそんなことは無理だったけれど。
人生は整理整頓の連続。生まれたら死ぬまで出したらしまい続ける。と、もっとも苦手なことで人生はできていると知った53歳。
そうしていなければひたすら物は散らかり続ける。宇宙法則に逆らい続けなければならない。だから疲れるんだな。重力に逆らい続け懸垂したり立ちっぱなしなのと同じなんじゃ?
と。
とかしのごの書いてても仕方ないので、とにかく物を減らす事から始めた。視界に入る物がごちゃごちゃしていると頭も整理できないのだと気づいた。
週に2回の可燃ごみの日を中心に一週間を過ごす日々だ。段々とサッと処分できる物が限られてきた。更に絞り込むか悩ましい。次の壁を突き抜けるか否か。
片付けをしていて気づいたのだけど、隙間があると気持ちにも余裕ができる。引き出しの中の物を減らしたら見えてない場所なのに気持ちいい。引き出しが「身軽で気持ちいいです!深呼吸できます!」って言ってるみたい。笑
ほんとに。なんかそんな空気を発してる。良かった。なんかごめんね、と思う。窮屈にしてて窒息しそうだったね、あなたも私も、と。
そして自分に見合った量まで減った時、物の置き場所が決められる段階に進めるんじゃないかと思う。少しずつ物達の居場所について考えられる空気感になっている。
更に気づいたこととしては捨てるまでは散々迷うけどごみ収集車が持って行ったあと、びっくりするくらい振り返らない。あれを捨てなければ良かったとまだ思っていない。これは多分次の壁を突き抜けたあとまた新しい発見がありそうだ。その手前だからなのだろう。
ミニマリストになりたいわけじゃない。ともかく気持ちよく、楽でいたい。家で集中したい。
この目標も大事らしい。家は私なのだな。
片付け本も昔はたくさん読んだ。その時は納得しても結局私でない人の脳みそに従ったところで同じ結果にはなかなかならない。要するに自分にフィットするやり方を編み出さないと成功しない。それには自分を把握することが先。
一生片付け続けるなら重力に逆らうような疲労感より気持ちよさが大きくなるようなやり方を見つけなければと思う。
それには重力が月くらいのうちにやるしかない。
↑日々の積み重ねってことね。簡単に言うと。
何をとるか(選択するか)。
片付けは全部に繋がってるんだな。生き方とか価値観とか。
死ぬまで生きる練習するのかよ、と思うけど、どうやら生きるってそういうことかもしれないと思うので。
今日も生きる練習したなーーっ!!って楽しく日々終われるといいな。