ただそれが嫌だったのだ。以上

とあるカフェでお母さんと幼稚園くらいの男の子のやり取りを聞いていて、私はとてもモヤモヤした気分になった。

 

お母さんは明らかに自分の感情をぶつけていて、それはあるところには効果的で、あるところには全く効果のない気持ちの表現方法だった。

 

自分の思いに誠実に生きたいと思った。

「思い」は願いでもあり祈りでもあり。自分の源泉に近いもの。それらに不誠実に生きているうちに不透明になっていき、気持ちがねじれ、表に出てきた感情も思いとかけ離れてしまうと思った。

 

 

誰のことも批判的な気持ちになりたくなかった。だけど考えれば考えるほど嫌な気分になっていった。どうにも抜けられなくなって、もう忘れればいいのにそれもできなくなっていた。

 

私はそのやりとりが嫌だった、と友達に言った。

それでいいんじゃない?嫌だったんだね、と友達が言った。

 

それが全て。

今日のところはそれでいいよ。

これから先もそれでいいかもしれないよ。

 

解決しないまま、蓋を閉じてもいいよ。

ただそれが嫌だっただけなのだから。