秋だから

今日はめちゃくちゃ暑かった…家の冷房も頑張ってるけどないよりいいみたいになってたし。こわいこわい。

 

今日は空がとてもきれいで風で薄く伸ばされたような不思議な形の雲があちらこちら。私は嬉しくて上を向きながら写真を撮りながら歩いていた。遠くには入道雲が連なっていて夏と秋が一緒にあった。

 

夏の真ん中よりちょっと前に秋がやってきて、季節が変わることを教えてくれる。

 

秋来たなあとその時は思う。でもまだ夏はちゃんと強く存在する。

 

でも最近の秋はもっとあからさまで夏との割合が逆転しつつある。

 

 

YouTubeでニュース映像のサムネが目に入った。

 

紙の包みに丁寧にのせられた大粒の巨峰。

今年も無事に実ったんだな。葡萄は偉いな、毎年同じ事を繰り返す。条件が揃えば地道に葡萄は実をつける。

その律儀さや、大粒に揃った実の美しさに泣いてしまった。

 

そして葡萄は時間がきちんと過ぎたことも教えてくれる。

 

私ばかりが時を無駄に過ごしたような気持ちになる。何の進歩もなく、今年の春と去年の夏と何も変わらない。

 

今だけに生きればいい、この瞬間の連続を見つめていれば未来への心配や過去の囚われもない。時の連続性から解放されれば意味づけやら因縁のようなものから自由になれるように思う。

パラパラ漫画の一枚を意識するとそこには全てが詰め込まれていて、歓びしかないような気がするのに、ふと無力感や無価値感みたいなものがわきあがることがある。

 

季節がひとつ進むと、猫たちもまた年をとる。いつか来る日の事を思ったり。

 

とか急に自信を失くすのも秋の影響かもしれない。いや、私のコンプレックスのせいか。やっぱり根っこにはぽっかりと虚無感があるんだな。

そう思っててもひとつも幸せを感じられないのに、そんなにお手軽に幸せを感じたらいけないよ、とでもいうように思い出せ、思い出せって。

危ないよ、危ないよって。

それは大概は起こらないことで大概は過去のことで。ほとんどの場合役に立たない。

役に立ったこと、あったかな。それをしないこと、避けてきたことが果たして役に立つことであったかなんて検証しようがないんじゃないか。

 

その時点やそれより少し時間の経った未来で検証してみたとして、その先の未来にとってはどうだったかなんてわからないからだ。

 

でも何の成果もないようで、生きているだけで関係し合って影響し合って波は起きている。その波は見える範囲で何も起きていなかったとしてもどこかで何かが起きている。

 

私がただここに在ればきっと起こるべき事が起こるような気もする。私のありようは私が決めていい。そしてそれは日々変わってもいい。

瞬間のこれでいいを続けていくしかないような気がする。それが私にむいたやり方。

 

取り留めもなかったけど、私自身取り留めのない人間な気がするわ。

 

 

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