そこからはみ出たい

その人がそうなるのには理由があるように、私がこうなってるのにも理由がある。

 

でもそこからはみ出たいと思う。

年をとりどんどん自分が素直にいかにもな道を進むことへの抵抗を感じるようになってきた。

それはただひねくれてるだけじゃないと思いたい。

素直にいかにもな道を進むことで素直に悩んでる場合じゃないぜ!って言いたくなっちゃう。

 

 

…まあその理由があるから、素直に道を通ったから頭の良い人たちが色々考えて解決の方法を確立してくれたりしてきた。治療とかカウンセリングとか心理学とか。そういうの。

お世話になったから今がある。

 

お世話になりながら、個々の事情をぶっ飛ばす、すっ飛ばす、いや、どちらでもいいんだけどそういうのはないものかと思っていた。

万能治療薬これ塗ればなんでもなおっちゃうよ!みたいな。

 

自分なりに考えて今の自分がチャレンジしているのは自愛、今ここ、とかそういう感じ。

最近はセルフラブなんて言い方をよく聞く。

 

人生が積み木や足し算のように様々な理由によって今があって悩みの原因や人生の困ったくせや習慣がそのせいならばそんな式やら積み木は蹴り飛ばして今ここという瞬間に浮かんでいたい。

今ここだけをガン見していたい。

 

今ここを見れば、私は息をしていて十分なご飯を食べられて楽しく喋る友人がいて、大好きな人がいて、音楽があってその音楽に動かす体がある。進み続ける今を感じることもできる。

 

過去も未来も比較の対象がないからとても穏やかな気持ちだ。今が進んでいくだけ。

 

何かができなければ自信を持てないとかそんなことではなく、ただ生まれてただここにいるだけで尊い自分。大前提としてビッグバンと同じくらいの、生まれた瞬間からずっと尊い。全ての人が。

 

自愛、ひたすら自分を認め始めると地面に根を張っていないような私なのに何かと何かの繋がりが強固になった感じがする。浮かぶイメージは自分と自分の臍の緒が太く強くなった気がする。そうすると相変わらずふわふわ地に足のついてない私なのに根はなくても安定感が生まれる。

 

年を取り、子どもの頃のことがン十年も前になって来た。そうするとそれは本当に私の記憶通りに起こった事だったのか、私はその出来事を正確に理解して記憶していたのかと疑問に思う。

 

日々が夢のようだと思うこの頃。

リアリティがない。

自分がどんどん現実と思うものから乖離していっているような気がしてくる。でもそもそも現実だと思っているものこそ確かめようがない。

 

だったら何を悩み苦しむのか。

そもそも悩みや苦しみとはなんなのか。

 

それは高低差に対するあくまで個人の感想なのではないか。

 

あわわ。

おかしな方向に行き始めたからやめとこう。

 

そういう時はきっと美味しいものを食べるのがいいような気がするな。お寿司とか!笑

実感を伴うことをする。

 

猫に触れたり、風に吹かれたり。

体で感じる、体を感じるのはこの世界にいられるアンカーみたいなものかな。